月別アーカイブ: 2016年10月

論文執筆用アプリを探して

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先日紹介したこの本に従って、毎朝起き抜けで机に向かい、2,3時間は論文を書いています。クオリティはともかく、確実にページを重ねています。

形から入るタイプなのでしばらく論文執筆用アプリも探していました。よりよいアプリを求めて検索の日々。とはいえ卒論はWordで書きましたし、文系の研究者はあまりこだわりなくWordを使っている人が大半だろうと思います。最近のWordは安定していて長文を書いても重くなったりはしません。問題はないのですがなんというか……新しい風を……要するに気分の問題ですね。

Scrivener

以前から持っていたScrivenerに引用文を集めていました。日本語化もしましたが、機能が複雑で圧倒されてしまうのと、それでいてやりたいちょっとしたことができないこと(コルクボードのカードに最初の数行を入れたい、等)、そしてなんというかWindows的な?若干古い雰囲気が微妙でした。昔、これで小説を書いたこともありますが、章ごとに動かしているうちに混乱してしまいました(笑)。上手に使いこなせればはまるんでしょうね。

Ulysses

で、Ulyssesを試しました。本家のサイトで試用版をダウンロードできて、10時間試せます。ダウンロードしてから10時間ではなくて、使っている時間の合計なので、結構な文章量を書くことができます。気持ちよく使えたので、買いました。今もこれで書いています。論文も。でも、正直な気持ちあんまり論文向きではなくて、ブログ記事向きな気がしています。どういうところがというのを言うのが難しいのですが、カチッ、パキッとした感じが足りないのです。

Manuscripts

実は論文を書くのにぴったりのアプリがあって、Manuscriptsといいます。http://lifehacking.jp/で、「まさに論文工場。」と紹介されていて、これはと思って使い始めたら、文字組みがとにかく美しいのだけど真面目さはちゃんとあって、本当に気持ちよく書けて、素晴らしい!!と思ったのですが、落ちます。落ちまくります。日本語だからでしょうか。落ちても必ずセーブされているのですが、落ちるたびに気持ちがふっと途切れるのでまともに使えません。1.0のまま開発が止まってしまっているようです。残念すぎる!

追記1(2018/02/14)
その後、ver.1.29が出て、落ちなくなりました。ただ無効なキーを押した時のエラー音が苦手。セッティングで変えられるのかもちょっとわからず。

追記2
最後までは無理だけど、叩きを作るにはWorkflowyもいいかも。アウトライナー大事。

 

というわけでまだごにょごにょ探したり、試したり、戻ったりしそうです。必要な機能は、章立てが構造化できることと脚注くらい。あとはいかに論文モードを盛り上げて気持ちよく書かせてくれるかですが、この辺知らず知らずのうちに要望が大きくなっています。アプリ探究続行中を言い訳にはせず、コツコツ書き進めます。

【厳選】シンプルライフ実践中、だけど買ってよかったもの(随時更新)

シンプルライフを目指して、じわじわと物を減らしています。しかしそんな中でも必要なものはある。買ってよかったなと思えるものをご紹介します。

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買ってよかった1 クリンスイのポット型浄水器

私の家は賃貸ですが、シーガルの浄水器がビルトインでついています。何年も使っていてカートリッジ交換もしてきたのですが、2つの理由で使うのをやめました。

  • 一万円超えのカートリッジを変えても、すぐに引っ越す可能性があること。
  • ホースや蛇口を何年もメンテナンスしてないこと。

カートリッジを変えても、蛇口が古くなっており、結局出口のところで青錆が混入しているような気がして気持ち悪くなってきました。その点、ポット型浄水器は水道の蛇口から出てから浄水しているわけで、安心です。以前はブリタのものを使っていたのですが、今回はサイズもスリムな国産品に。冷蔵庫にも入れられます。

これ、初めて飲んだ時、水がすっきり美味しく感じられて感動しました。気のせいではないレベルを超えて明らかに水が磨かれてる! 水道管とか蛇口とか気にしなくていいので楽です。

 

買ってよかった2 マキタのコードレス掃除機

シンプルライフを極めるうえでは微妙な存在である掃除機。私は必要です。実は数年前まで掃除機なし、ほうきとクイックルで暮らしていたのですが、あったほうがいいです。この掃除機は機能はシンプルで、吸引力だって至って普通ですが、必要十分で無駄がありません。さっとかけられて、使い勝手がいい。主張しないこのたたずまいもナイスです。

種類はいろいろありますが、あまり深く考えず安めのにしました。紙パックは必要ですが、まあいいかなと。

 

買ってよかった3 無印の白いシャツ

若い頃はド定番を着て、無難に生きるなんて恥ずかしくてできない!と思っていたのですが、何を恥ずかしがっていたのか今ではよくわかりません。それと、意外と「型にはまった消費活動をする」という人が少ないということもわかってきました。私としては服は消耗品と捉え、型にはまった消費を心がけていきたいです。

※無印の白シャツは以前記事にしています。

http://changelog.biz/shiroshirt/

 

買ってよかった4 シャボン玉石けん

石けん生活は始めると止められません。ひとつの石けんで身体と髪と顔を洗います。髪はそのあとお酢でリンス。シャンプー、リンス、コンディショナー、ボディーソープ、洗顔フォームとはなんだったのか、という気持ちになります。石けんひとつでOKだということはあまり知られていません。トップシークレットなのでしょうか。不思議ですね。シャボン玉石けんはきちんとしたものを使っているという安心感があります。お値段も手頃でありがたいです。

 

買ってよかった5 アークテリクス・スコーミッシュフーディー

マカフィーなら利用台数無制限!PCもスマホもタブレットも! 強さと軽さで選ぶならカスペルスキー!性能比較テストで5年連続No.1 セキュリティソフト販売本数8年連続売上No.1のウイルスバスター 世界売上シェアNo.1の「ノートンセキュリティ」でウィルス対策!

アークテリクスの定番。パッカブルソフトシェル、スコーミッシュフーディーです。着心地の良い素材と、軽さが魅力です。色違いを買うか迷っています。レディースのサイズ展開もありますが、私はメンズのXSを使用中。

※こちらも以前記事にしています。

http://changelog.biz/squamish-hoody/

 

論文生産術、またはたくさん書く方法

「できる研究者の論文生産術」

現在、私は都内の大学の修士課程二年目に在籍しているため、修士論文を書いています。あまりはかどっていなくてときどき心がざわざわするので、これはいかんなとカンフル剤を買うことにしました。

 

 

原題はHow to write a lot,  たくさん書く方法、です。

この本のメッセージはとてもシンプル。スケジュールを立て、目標を設定し、書く。これだけです。でも、それができないから困っているわけで……。このシンプルな教えを実行するための細かなTipsがとても参考になりました。

 

スケジュールを立てる。

スケジュールといっても、理想や妄想を描くのではありません。単に、毎日のスケジュールに書くための時間を設定してしまうこと。

筆者は平日の朝8時から10時までを執筆に当てているそうです。そしてものすごく重要だと思ったのがここ!

朝起きてコーヒーをいれ、机に向かう。気が散るのでメールはチェックしない。シャワーもなし、着替えもなし。ともかく朝起きたらそのまま机に向かって書き始める。

この着替えもなし、というのがいいですね。起きたらいきなり書き始めるわけです。脳が働いて小賢しい言い訳を始める前に、書き始める。書くことを概念化する前に書く! 飲む前に飲む! みたいなことです(違)。

 

目標を設定する。

設定するのは夢見がちな目標ではありません。机に向かって途方にくれてしまうのを防ぐため、今日や明日やることを書き出すだけです。昨日書いた部分を見直す、とか、第二節のアウトラインを考える、とか、最低2000字書く、などなど。

ポイントは、書くための時間で書くことにまつわるすべての行為を行ってよいということ。これで準備不足だから書けないという言い訳はできません。テキストを読むのも、ブレストも、アウトライン作成も、すべてこの時間に行ってOK。これは現実的で素晴らしいシステムです。一気に書くことに近づけます。

 

書く。

書きます。黙々と書きます。その日書いた分量を記録しておくと、自分が一日でどのくらいの量を書けるのかが把握できてよいそうです。たしかに精神の安定に役立つかもしれません。これっぽち!と不安にもなりますが……正しい現状認識は大事ですね。

おもしろかったのが、独創的なアイデアは、強制的にであっても毎日書いた方が頻繁に浮かんでくるという研究結果です。アイデアが浮かばないから書かない、というのは非常に馬鹿げた言い訳ということになります。経験を振り返ってみれば当然のことなのに、なぜかアイデアも書くことも遠ざけてしまいがちです。愛されてないから愛さない、みたいなことですね。こちらから愛すれば愛される頻度も高まるのに!!的な。愛もアイデアも遠ざけるのはやめましょう。

 

習慣づけられた行為の力

ルーティン化すると意志に頼らない状態で行為に取り組むことができます。人間は意志の力を過大評価する生き物ですが、意志力は妄想と考えたほうがよさそうです。非意志的な習慣とそれによる行為の積み重ねを振り返った時初めて、「そこに意志があった……」ということになるのだと思います。

書くことについて考えている間は、書くことはできません。対象を思考するのをやめて、思考対象そのものになるとき、行為が起こっています。思考は私をどこへも連れて行ってくれず論文を仕上げてくれないので、朝起きたら書く生活を続けていきます。「シャワーもなし、着替えもなし」で。

 

なぜか書けるようになる不思議な力のある本。

【ライカスマホ】Huawei P9で撮影したモノクロ写真は、フィルムのライカとどこが違うか?

Huawei P9のライカ

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フィルムのライカ
(知人に借りて撮影したので機種不明。レンジファインダーでした。)

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全然違う(笑)。

フィルムのLeicaは、光や水の表現がすごい。じわじわくる。すごい、本物のライカ。

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とはいえ、P9もいいカメラです(震えながら)。

ご飯とかを絞り値調整モードで撮るとすごくきれいです。下記参照。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自由とは、生命に表現させること。『喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと。』

行ったり来たりの日々

静かに内側に沈んだかと思えば、気ぜわしく外側に向かったりと、ある意味、せわしない日々が続いています。自分の中に安らいで空っぽさに満たされていたい、などと思っていますが、そこには「自分の内側に真に沈めばそこから実利的なものにも結びつくのでは」という矛盾した期待があることも事実。深く息ができるとパワーチャージした気になって外側に向かって穴を堀り、疲れ、ざわざわしていることに気づいて帰ってくる、というのを繰り返しているような気がします。何かをしなくちゃいけない、という気分になるときほど、何もしないでそこにいろってことなのかもしれません。どうせ身体も心も、動くときには物事も勝手に動くので。「自分」が考えることは、だいたい逆ですね。

 

インド人社会を生きる女性の臨死体験ストーリー

今日は先日読んだ本を紹介します。中野真作さんの本をKindleで読むといつも、最後のページでおすすめに上がってくる本で、しばらくスルーしていたのですが、ふと読んでみました。スルーしていたのは「臨死体験」というキーワードにあまり興味が持てなかったからです。なんで読もうと思ったかは謎ですが、実家に行っていたときだったのでいつもと違うものに気が向いたのだとおもいます。

結果、読み始めたら止まらないおもしろさでした。インド人社会の中で自分を抑圧して生きる苦しみと癌の恐怖がいきいきと(笑)描かれていきます。その一方で、癌そのものの劇症化と消滅は驚くほどあっけなくて、そこが印象的でした。

 

「生命」は勝手に起こっている。

普通、ひとが「生きる」というとき、それは激しい感情の運動と取り憑かれたような思考の働き、そして衝動的な行動のことを指していて、それに振り回されていることを「生きている実感がある」とか「充実感」とか呼んでいるように思います。それはそれで生きることの一部ではあります。

でも、私たちが行っている生命活動は、勝手に起こっています。この勝手に起こっているということを、「え、まさか、そんなはずはない!」と思っちゃうくらい、私たちは抵抗することに夢中になっています。不思議なことに、生命をコントロールできると思っているのです。でも、生命は私の支配下には全然なくて、どちらかといえば私が生命のしもべです(笑)。生命の「表現」のひとつが私というイマジネーションの束なんだろうと思うわけです。

だから、この本では繰り返し、「信念を捨てる」というのだと思います。自分の信念を捨ててなんだかわからないけれど勝手に起こっている生命活動の可能性にまかせてみると、不信のなかでもがいていたときとは違う世界が広がるのかもしれません。自由とは、生命にありのままの表現をさせることなのだと思いました。

 

以下、印象に残った文章の引用です。

以前は、迷うとまず外側に答えを見つけようとしました。本や先生やグルに頼り、自分に答えを与えてほしいと望みました。それは、初めて癌の診断を受けた時、まさに私がしたことでした。でも、その結果、ますます方向性を見失うことになっただけでした。自分のパワーを他人に与えてしまったからです。

 内側が外側に影響を与えるという見方は、自分の内なる導きを十分に信頼することを意味します。それは、私の感じていることが、私の宇宙全体に影響を及ぼすということです。言い換えれば、私はクモの巣状の宇宙の中心にいるので、全体に影響を与えているのです。ですから、もし私が幸せなら、宇宙も幸せです。私が自分を愛していれば、他のみんなも私を愛するでしょう。もし私が平和なら、すべての創造物が平和なのです。

私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の〝修復〟を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。

自分を自由にし、信念や不信から離れて、心をあらゆる可能性に開いた時、私は一番強い状態にあります。

確実性を必要とすることが、大きな気づきの体験を邪魔するのだと感じています。それと対照的に、すべてを手放し、信念や結果への執着から解放されれば、精神の浄化作用と癒しがもたらされるでしょう。真のヒーリングが起こるには、癒されたいという強い欲求を手放し、人生という乗り物を信頼して楽しまなければなりません。

自分の生命が望むような人間になることを許した時、私たちは最も強力です。ですから、私の意識的な行動が完全にストップし、生命力が支配した時、ヒーリングが起こりました。言い換えれば、生命に対抗せず、生命と協力している時、一番強力になれるのです。

私たちは、愛や情熱など、あらゆる種類の感情を表現するために、身体を持つ選択をしたのだと思います。それらは、純粋な意識やワンネスの状態では、個別に表現できないものです。もしこの世での人生が本当の舞台で、一番面白い場所だとしたら、どうすればよいのでしょうか?  この現実世界は、表現するための遊び場です。私たちは来世のために学んだり経験を積むためにここにいるのではなく、目的を持つ必要性もないようです。というよりむしろ、この物質世界とそこで生きている自分の生命を体験し、それらを進化させるためにここにいるのです。

いつも、苦しみを避けることか人を喜ばせることばかり考えていました。私は、行動し、追い求め、探し出し、達成することにとらわれていたのです。自分のことはいつも後回しでした。

たとえば、人生で実現したい強い願望がある時、それを必死で追い求めようとすれば、宇宙エネルギーに対抗するだけだとわかりました。そこに到達しようと努力すればするほど、私は間違ったことをしていると実感するでしょう。ありのまま受け入れることは、努力を必要としません。それは解放されるような感じです。なぜなら、すべては一つなので、手に入れたいと思っているものはすでに自分のものだと知ることを意味するからです。
ありのまま受け入れるプロセスは、まず信頼することから始まります。次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは、私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。

不確実なものを受け入れれば、あらゆる可能性に心が開かれます。不確実性は、無限の可能性につながっているのです。

人生を送る上で大切にしている言葉

私は高校生の頃、MAXが好きでした。一度離れて、また二十歳過ぎたくらいの頃も好きでした。ライブがひたすら楽しくてかっこいいグループで、今もライブに行けるときは行きます。行くと本当に楽しいです。いろいろな思い出はあるんですが、よく思い出すのが、LINAさんがテレビ番組で言った一言です。

深夜番組で(「リズムベイビー」かな?)MAXのメンバーが2チームに分かれて料理対決をしていたときのことです。NANAさん(以下ナナさん)とLINAさん(以下りっちゃん)のチームが酢豚を作ることになるのですが、ナナさんは料理がまったくできなくて危険なレベル。揚げ油に水溶き片栗粉を入れようとして止められたりするわけです。そんななか、なんとかナナさんが豚肉をおっかなびっくり油で揚げるのですが、衣をつけずに揚げていることをアナウンサーに指摘されます。もう肉を投入してしまったので「どうしよう!素揚げになっちゃった!!」とりっちゃんに助けを求めます。すると、べつの調理をしていたりっちゃんは手をとめて中華鍋をちょっと覗き込み、表情も変えずに言います。

「べつにいいじゃん」

この心からの「べつにいいじゃん」に私は救われる思いがしました。酢豚の豚に衣がついていない。べつにいいじゃん。まあ、そうだな、と思いました。問題が問題じゃなくなった瞬間です。

「べつにいいじゃん」っていい言葉だなと、そのときから大切にしています。そういうわけで私はLINAさんが大好きです。


(左端がLINAさん)

通り過ぎていくことが心地よくなっていくと

人は日々いろいろなものに手を出しては、そのうち出さなくなり、忘れていきます。あるとき熱心に読んでいた著者の本やブログをパタリと読まなくなったり、毎日使っていた道具を使わなくなったり。食べていたものを食べなくなったり。続けようという思いがあったわけでもなく、気づけば、しなくなっていることです。そういったことに以前であれば罪悪感を感じていたのですが、いつのまにか多くのことについてそれを感じなくなりました。

 

多くのことについて、というのはまだそれを感じる対象が残っているからであり、それは、「人」だったりします。かつて愛した人のことを愛さなくなることを許せない思いがまだ残っています。出会った人と関係を深められずに、保つことができずに、離れて、疎遠になることへの恐れがあります。自分を責めると同時に、相手を責めています。

愛着が自然と剥がれ落ちるのは、人でもものでも同じことです。

 

以前の私は、ある著者の本を買い集めて熱心に読み、そのうち読まなくなり新刊も追わないといった状況になると、自分を責めていました。あれは本物の関心ではなかった、と考え、偽物の関心にお金と時間を使ったと考え、無駄なことをした、と自分を責めていたのです。夢中になってから飽きる、という天気のような自然現象を責めていました。恐ろしいですね。

 

お金や時間がもったいない、というまともな理由があるようにも思えます。ひとつのことを長く続けられないことは悪であると教えられたせいもあるでしょう。

でも、これにはもうひとつ根本的な否定が関わっていると思いました。

現在の否定です。

何かに愛着を感じること、夢中になること、使うこと、すること、すべては今、起こっています。

それがもう今ないのなら、ただないのであり、過去に戻って引っ張り出そうとしても仕方ありません。今の空白を楽しみます。

 

愛着を感じる今、新しいアプリを試している今、本を読んで刺激を受けている今、それは起こり、完全に満たされているのです。

明日もそれが続くかどうかは関係ありません。何かが達成されるかどうかも関係ありません。

 

あるとき習慣だった何かをしなくなっている自分に気づくとき、すべてのことが通り過ぎていく、自由な今を感じます。願わくば、「人」についてもそんな自由な気持ちになれたら、と思っています。

ブルーボトルコーヒー初体験記「まずい!もう一杯!!」

オープンから一年半、待ち時間は5分ほど

先日、お休みの日に話題のブルーボトルコーヒーに行ってきました。話題の、と言っても、2015年2月のオープンからもう1年半以上経っているんですね。つい最近の気が……。

今は青山や新宿にも店舗があるようですが(そして中目黒、品川にも近日オープンだそうですが)、私が行ったのは日本上陸一号店の清澄白河。休日の夕方、日が暮れた時間帯でした。

駅から少し外れた住宅街に突然現れるファクトリー感あふれる店舗。

 

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横からドーン。(正面の写真は撮り忘れました。)

おしゃれタウン化する清澄白河

ちなみに清澄白河、すごーくおしゃれタウンな感じになっています。この十年でじわじわとカフェが増え、なんだか昔の裏原宿みたいです。気張らないおしゃれを気張るあれ。どなたかのツイッターで見かけましたが、「清澄白河、門前仲町は二十年前の中目黒、恵比寿(!)のよう」とのこと。本当でしょうか。ビルのひとつでも買っておきたくもなりますが……この辺のマンションもかなり値上がりしましたね。

さて、ブルーボトルコーヒーです。オープンから1年半以上過ぎた今でも、結構混んでます。すごい。とはいえ列は店内のみで待ったのは5分ほどです。オープン当初は二時間半待ちだったそうなので、かなり買いやすくなりましたね。

 

定番はブレンド、ニューオリンズ

メニューはいろいろあって違いがよくわからないので並んでいるときに慌ててスマホで検索しました。でも、前のカップルは店員さんに相談して、楽しげに長く話し込んで決めている様子。

なので私も定番を聞いてみました。定番は、ホットならドリップの「ブレンド」。アイスならミルクと砂糖の入った「ニューオリンズ」とのこと。

私は基本コーヒーはブラック派なので、ブレンドにしようかな、と思いました。でも歩いてきて暑かったので、定員さんのおすすめを無視して(笑)、アイスのブラック、つまり「コールドブリュー」にすることにしました。とりあえず店内の椅子に腰掛けて、

 

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ゴクリ。

飲んでみたコールドブリュー

「なんじゃあこれ!!」と思いました。

 

「……まっずー」

 

独特の風味があり、いままで飲んだことのない味です。2口くらい飲んで席を立ちました。

 

とはいえ、さすがに捨てたりはしません。門仲方面へ歩き始めました。

 

歩きながら、ひと口飲むたびに複雑な気分に。

 

「まずいな。これ、コンビニコーヒーだったら、即捨ててるな」

 

そう思ったのを記憶しています。

 

歩き続け、飲み続けました。3分の2くらい飲み進めると、慣れたのか、もうまずいとは思わなくなっていました。

 

そして飲み終わった時には、「ああ、終わっちゃった」というやけに寂しい気分に……。

 

 

「もっと飲みたい……」

 

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「またすぐ飲みたい!」

 

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なんということでしょう。

 

ブルーボトルコーヒーの魔法にかかってしまいました。

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コーヒーによくありがちなトゲトゲした感じはまったくありません。やわらかくて、独特の香り、風味があります。普通のコーヒーの味とちょっと違うのです。それに初め違和感を感じるのですが、慣れてくると、なんだかやみつきに。魔法にかかってしまったので、またすぐ買いに行くと思います。急に秋も深まりましたので、今度はドリップのブレンドを頼んでみようと思います。