映画はまた危うく始まりそうに…「私の少女」

※うっすらとネタバレしています。

見終わった時にはこんなのってありかぁーと放心状態だったのだけれど、感想を検索してある仔細な評論を読んで、その全てに同意するわけではないし理解できている自信もないのだけど、「ああ、そうだった映画とはこういうものだった」と思い直して、相当な傑作を見たという感動があとからじわじわと広がった。

「映画とはこういうものだ」というのは、「現実の正しさを超えた映画的正しさが存在する」というようなことで、そんなこと当たり前だろうと言われそうだけど、ここでいう正しさは法や倫理という意味ではない。そういう外側の正しさを破ることはどんな映画でももちろん常に起こっている。けれど、それらの映画がどこに向かうかといえば内面的幸福とか充実という第二の(というかいわゆる本当の)正しさだ。

でもこの映画は結局、どうもそこじゃないところ向かって進んでいく。主人公の内面的充実には向かわない。つまり、地獄へ向かって終わる(ように見える)。主人公は担えない重荷を背負って進もうとする。予感は不吉で不穏だ。しかしそれでいい。

だからこそ終わりの場面で、映画はまた危うく始まりそうな素振りを見せることができる。それこそが映画的正しさであり、映画は人間のすべてを肯定するための映像なのだった、と久々に思い出す。(そう思い出す前に私が思ったのは、「連れてっちゃだめー」というマヌケな感想だ。あるいは映画の半ばでは「オーストラリア行きなよ〜!」と心から思った。友達にならそう言うべきだが、それでは映画にならない。)(オーストラリアといえば、元カノの妙に色っぽい存在感に感動した。だからこそ「オーストラリア行きなよ!!」と思った。(2回目))

ペ・ドゥナは、ガリガリの棒切れのような体に警察署長の服をまとってそこに立つだけで、強さと弱さの危ういゆらぎを表現できてしまう。私はペ・ドゥナの作品を見るのはなんと今回が初めてで、恐れ入りましたとひれ伏した。かっこいい。うまい。最高。しびれる。憧れる。

それから、この映画には女に対する幻想抜きのエロスが、少女を題材にしているから緊張感と危うさを伴いながらしかし明確に描かれている。それはふわふわキラキラしたものでもなければ、欲望が炸裂するようなものでもなく、もっと生理的な皮膚感覚あるいは喉の渇きに近いもので、たとえば「ウンギョ」の少女に投影されたものとは遠く離れたところに存在している。もっと女性監督による映画が作られるといいなと思う。

私の少女(2014)
監督 チョン・ジュリ
出演 ペ・ドゥナ、キム・セロン