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物事に深い意味はない

物事に深い意味はない。あると思って生きてきたが多分ない。

陰謀論者はすべてに隠された意味、理由と原因とがあると思っているが最終的にどこまで行くつもりだろうか(行き着くところがない)。 原因は最終、自己原因になるかループする、という結論が哲学的に出ていたはず。無限に外部を求めるということか(未来に先送りする)。どれも病的な思考ではあるが、自己原因ならば、思考をやめて静かに暮らすことができる、スピノザのように。(そういうことか…とひとりで勝手に納得する。)

物事に深い意味はない。そしてあると考えてもないと考えてもあまり差がない。苦楽の差くらい。で、この苦楽の差のために、血と汗と涙を流し、人生を棒に振っているといっても過言ではないのに、深い意味はないと考えてラクに生きるよりも、深い意味があると考えて苦労してその末にラクをつかもうとしているのが人間で、ちょっと意味がわからないと思うけれど実際そういうことをしている。

目の前におまんじゅうがあるのだけど、それを食べないですごく過酷な旅に出る。何を探してるのかと聞くとおまんじゅうを探しているのだという。

「え、それならさっき、ちゃぶ台に…」
「いやそんな単純なおまんじゅうじゃなくて、もっと深い意味での…真実のおまんじゅうを求めてるんです」
「(……衝撃!)」

これが人生である。

で、深い意味があると思って生きることにも深い意味はないので、このことについてこれ以上深く考える必要もない。人の旅はもちろん、自分の過去の旅についても考えなくていい。

過去も未来もいらない

ハッピーさんが「未来を捨てろ」というかっこいい発言をしていて、かっこいいし、わかりやすいな、と思っていた。別の日、子宮委員長が「あなたが捨てたいものは?」と質問していて、「うーん、過去」と思った。過去も未来もいらない。

過去といえばノートを捨ててしまうので、日記的なものはほとんど直近の半年分くらいしか残ってない。手帳のたぐいも去年のものも捨てるので、いつどこに旅行したとかもわからなくなる。調べようと思えば誰かが知っている。でもどうせ聞いても忘れてしまう。

自己啓発本などを読むと、「ノートは大事。なんでもメモってとっておこう、ヒントがいっぱい詰まった宝物だよ」的なことが書かれてて、ノート自体はほっといても書くのでそうかーと思ってとっておくのだけど、だいたい読み返すと、おもしろいと思うこともあるけど、そこに漂う淀みにどっと疲れる。私のノートはアイデアとかそういう爽やかなもので構成されていないし、特に活かせた経験もない。だいたい過去に思いついたことでそのときやらなかったことを、いまさらやる気がしないし、過去の自分に全然期待ができない。

それで数ヶ月に一度、身にまとわりつく重さを感じて捨てる。昔は本の引用が見つからなくて困ったりしたけれど、インターネットのおかげでだんだんそれも減ってきた。

思考をやめていくとノートはどうなるだろう。ドロドロしなくなるのか。書かなくなるのか。でもブログは書いている。なぜかわからない。なんとなく出してしまいたい気分で書いている。別に深い意味はない。映画のレビューとかはどうなるんだろう? 過去のブログの記事はほとんど全部消したくなる。それもあんまりかと思ってまだ多少残してはいるが……。

私が過去を捨てたいとやたらに思うのは未来に未練があるからだと思う。過去も未来もいらないと本当に心から思えたらどれくらい心が軽くなるだろう。それはちょっと楽しみだ。

思考を停止する

昨日から「思考の解放・思考停止」というサイトを読んで、思考を止めることを実践している。といっても思考は次々に出てくるし、振り回されっぱなしで二日目は終わろうとしているけれどそういう思考も止める。

この記事も書くにはもう少し続けてみてからにしようかと思ったけれどそれについても考えるのをやめて書くことにした。何度も「書いてみようか」という思考が出てきたし現に書いているので書いているという感じだ。

もし自分の選択や行動に責任を負わなくていいとしたらどんなに気楽だろう。

振り返ってみれば考えても仕方がないことばかりだったし、人生はなるようになって、「あのときよく考えて決めてよかった」というような経験はまず思い浮かばない。何が熟考による選択で、何が考えなしの選択だったかという判別も難しい。

よかったなあと思いがちなのは勢いでやったほうだけれど、それはそのスリルが思い出に深く刻まれてるためじゃないかという気もする。まあこれもどうでもいい。

考えても考えなくても同じじゃないか、というのはあまりにも身も蓋もないけれどおそらく真実だ。

偉大な発明とか数学的思考とかはここでいう「考える」とは別のことのような気がする。クリアな空間で秩序が自律する思考のと、ノイズを撒き散らすような思考との違い……といっても、よくわからないからこれについての思考もやめる。

とにかく思考は湧いてくるのだけどそれを深追いするのをやめるだけでだいぶ気楽に、気が軽くなる。本当に気楽になってるのか? という思考が湧いてくるのでそれもやめる。

自分自身でいること

哀川翔の奥さんが「笑ってこらえて」に出ていて、若い女の子に恋愛指南として、「一人でいるときと同じ自分でいられる人がいい」というようなことを言っていた。自然体でいられる人、ということだろう。それはとても大切なことだ。

でも、その前にもっと大事なことがあって、それは自分でいることだ。一人でいるときに苦しければ、ふたりでいても苦しい。感情は鏡に映って、増幅していくだけだ。そして苦しいとしたら、それは自分自身でいないように「がんばって」いるのだと思う。

自分自身でいることが大事なのはわかる。でも、それってどうすればいいのだろうか。

「ありのままの自分でいるためにはどうすればいいのでしょうか」という問いに含まれる矛盾をエックハルト・トールが指摘していた。「ありのままの自分」は、どうにかしてなるものではない。それから「自分とは誰か、わからなくなりました」という困惑には祝福を送るともいう。

自分というものが、どこかに、いつか、くっきりとした輪郭を表すということはない。それは過去にも、未来にも、どこにもない。「今ここ」というのは、あまりにも使い古されてしまったフレーズだけれど、やはり「今ここ」なのだ。思考はいつも過去をネタに未来をでっち上げて、それを自分、自分と思い込んでいる。一方、自分はいつも今ここに存在している。

 

ここでいう行動不要論とは…

ここでいう行動不要論とは
 「ちょっとでも嫌だとか面倒だと思うことは一切やるな」
 っつうことだよ。
 ……

次から次にやりたいことがでてくる、生きてるのが楽しくてたまらない。
 人生ってのはそれでいいんだよ。

……
 したくないこと、やりたくないことは、やらなくていいんだよ。
 もし本当にそうだとしたら、wktkしてこないかね?

逆に、この考え方のどこか罪悪感みたいのを感じるとしたら、たぶん、それこそがカギだ。
 そしてその観念は変えられるよ。

kodofuyo.seesaa.net

いやはや、すばらしいですな。小さなやりたいことのわらしべ長者になればいいわけです。シンプルです。

 

行動不要論者さんの(そもそもはエイブラハムの)17秒メソッド☆も素晴らしいし、即効性があります。

☆願いが叶ったときにどんな感覚になるかな〜と17秒間浸ってみるメソッド

kfloa.blog.fc2.com

 

論文執筆用アプリを探して

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先日紹介したこの本に従って、毎朝起き抜けで机に向かい、2,3時間は論文を書いています。クオリティはともかく、確実にページを重ねています。

形から入るタイプなのでしばらく論文執筆用アプリも探していました。よりよいアプリを求めて検索の日々。とはいえ卒論はWordで書きましたし、文系の研究者はあまりこだわりなくWordを使っている人が大半だろうと思います。最近のWordは安定していて長文を書いても重くなったりはしません。問題はないのですがなんというか……新しい風を……要するに気分の問題ですね。

Scrivener

以前から持っていたScrivenerに引用文を集めていました。日本語化もしましたが、機能が複雑で圧倒されてしまうのと、それでいてやりたいちょっとしたことができないこと(コルクボードのカードに最初の数行を入れたい、等)、そしてなんというかWindows的な?若干古い雰囲気が微妙でした。昔、これで小説を書いたこともありますが、章ごとに動かしているうちに混乱してしまいました(笑)。上手に使いこなせればはまるんでしょうね。

Ulysses

で、Ulyssesを試しました。本家のサイトで試用版をダウンロードできて、10時間試せます。ダウンロードしてから10時間ではなくて、使っている時間の合計なので、結構な文章量を書くことができます。気持ちよく使えたので、買いました。今もこれで書いています。論文も。でも、正直な気持ちあんまり論文向きではなくて、ブログ記事向きな気がしています。どういうところがというのを言うのが難しいのですが、カチッ、パキッとした感じが足りないのです。

Manuscripts

実は論文を書くのにぴったりのアプリがあって、Manuscriptsといいます。http://lifehacking.jp/で、「まさに論文工場。」と紹介されていて、これはと思って使い始めたら、文字組みがとにかく美しいのだけど真面目さはちゃんとあって、本当に気持ちよく書けて、素晴らしい!!と思ったのですが、落ちます。落ちまくります。日本語だからでしょうか。落ちても必ずセーブされているのですが、落ちるたびに気持ちがふっと途切れるのでまともに使えません。1.0のまま開発が止まってしまっているようです。残念すぎる!

追記1(2018/02/14)
その後、ver.1.29が出て、落ちなくなりました。ただ無効なキーを押した時のエラー音が苦手。セッティングで変えられるのかもちょっとわからず。

追記2
最後までは無理だけど、叩きを作るにはWorkflowyもいいかも。アウトライナー大事。

 

というわけでまだごにょごにょ探したり、試したり、戻ったりしそうです。必要な機能は、章立てが構造化できることと脚注くらい。あとはいかに論文モードを盛り上げて気持ちよく書かせてくれるかですが、この辺知らず知らずのうちに要望が大きくなっています。アプリ探究続行中を言い訳にはせず、コツコツ書き進めます。

【ライカスマホ】Huawei P9で撮影したモノクロ写真は、フィルムのライカとどこが違うか?

Huawei P9のライカ

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フィルムのライカ
(知人に借りて撮影したので機種不明。レンジファインダーでした。)

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全然違う(笑)。

フィルムのLeicaは、光や水の表現がすごい。じわじわくる。すごい、本物のライカ。

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とはいえ、P9もいいカメラです(震えながら)。

ご飯とかを絞り値調整モードで撮るとすごくきれいです。下記参照。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生を送る上で大切にしている言葉

私は高校生の頃、MAXが好きでした。一度離れて、また二十歳過ぎたくらいの頃も好きでした。ライブがひたすら楽しくてかっこいいグループで、今もライブに行けるときは行きます。行くと本当に楽しいです。いろいろな思い出はあるんですが、よく思い出すのが、LINAさんがテレビ番組で言った一言です。

深夜番組で(「リズムベイビー」かな?)MAXのメンバーが2チームに分かれて料理対決をしていたときのことです。NANAさん(以下ナナさん)とLINAさん(以下りっちゃん)のチームが酢豚を作ることになるのですが、ナナさんは料理がまったくできなくて危険なレベル。揚げ油に水溶き片栗粉を入れようとして止められたりするわけです。そんななか、なんとかナナさんが豚肉をおっかなびっくり油で揚げるのですが、衣をつけずに揚げていることをアナウンサーに指摘されます。もう肉を投入してしまったので「どうしよう!素揚げになっちゃった!!」とりっちゃんに助けを求めます。すると、べつの調理をしていたりっちゃんは手をとめて中華鍋をちょっと覗き込み、表情も変えずに言います。

「べつにいいじゃん」

この心からの「べつにいいじゃん」に私は救われる思いがしました。酢豚の豚に衣がついていない。べつにいいじゃん。まあ、そうだな、と思いました。問題が問題じゃなくなった瞬間です。

「べつにいいじゃん」っていい言葉だなと、そのときから大切にしています。そういうわけで私はLINAさんが大好きです。


(左端がLINAさん)