「インナーゴルフ」が素晴らしすぎた。

「インナーゴルフ」というかインナーゲームオブゴルフ。すごい大胆に端折った邦題だ。

とにかく素晴らしくて、線を引きまくり丸をしまくって読んだ。引用とかもうめんどくさいので、買って読んで下さい。本当に素晴らしいです。スピリチュアル系の本読んでる人からしたらわかる、わかるよ!ってなるし、かといって地上から数センチ浮いてない系の実用書なので、ふふふふふという感じでわくわくしてくる。とりあえずゴルフやりたくなる。

セルフ1を黙らせる。セルフ2を信頼して任せる。これってもう完全に「自分で何も考えない。潜在意識がすべてやってくれる」の世界観。一応基本はセルフ1が目標とかどうしたいかを決めるんだけど、途中からそれもセルフ2にやらせよう、ってなる。「もう私にはどうしたらいいかわからないので、君がやってくれ」的なことを言い出す。サレンダー。

やっぱり号泣したところだけ引用しよう。特別に。

これは、私の勝利だった。(…)私は幻想を打ち砕いたのだ。専制君主の支配から脱出することができたのだ。私はずっと長い間、その支配から逃れられなかった。いい結果を出したときにはいい気分と名誉が与えられ、失敗したときには自分を責め、無力感にさいなまれた。その褒美を目当てに、私は彼の奴隷となって、いつもいいショットを打とうとしてきた。けれどこのときの一打を境に、私は自分の内側の専制君主に決別し、独立を宣言したのだ。彼は私から真の喜びを奪い、芸術を奪い、彼が要求する結果を自ら邪魔だてしてきた。彼が私に与えてきたつもりの褒美は、実は現実ではなく、幻想の幸福に過ぎなかったのだ。私はボールに向かって歩きながら、そう考えた。私はこれでより強くなったのだとも思わなかった。自信がついたとも感じなかった。ただ単に、誘惑に強く、傷つきにくくなったのとだけ、感じることができた。

生きるって本当は純粋に喜びで、この身体を持ってさまざまなことを感じるということがそれ自体ものすごい僥倖、奇跡の瞬間の連続みたいなものなんだろうと思う。感じること、知覚すること、気づくことは同じことの繰り返しではありえない。不安定で不確か。だからこそ新鮮な喜びに満ちている。
生きるって要するにそういうことなんでしょ。

なのになぜかセルフ1とここで呼ばれる私たちの思考は、そこで安定を求め、同じことを繰り返そうとする。なぜ? 自分の存在意義を証明するためだ。生き延びるためだ。つまり本当はセルフ1は実在しない。自分が架空の存在だってことを知ってるんだ。Unicorn is Real, but self 1 is not real!!!

自分が一生懸命考えて批判して判断しているから安全が守られるんだよってことを証明することで、自分が実在しないことをごまかす。そのために、うまくいかないときは自分(セルフ2)を叱責し、うまくいってるときは自分(セルフ2)を疑うことをし続けた。なんて奴!!

でも、そもそもなんでそんなやつのいうこと聞かなきゃいけないんだ???? なんでそんなやつのいうこと聞いてきたんだ!!?? 非実在存在のいうことを真に受けて。

だいたいなんでもセルフ2がやってんだよ。呼吸も歩くことも、手を伸ばしてコップをとることも、ゴルフのスイングも、こうして文字を打つことだって。

ここで唐突にガルウェイのフォーミュラ。

P=p-i
パフォーマンス=ポテンシャル−インタフェア
(発揮する能力=潜在能力−妨害活動)

ワオ、ワオ、ワオという感じだ。シンプル真理すぎる。

セルフ1を黙らせて、セルフ2にすべてを任せる。それでも残る何かが「誠意」だったとガルウェイはいう。なんということだろう。

究極の誠意とは、もはや何も考えない状態に至ったとき、最後に残る「何か」のことだ。