わからないままでいること

 

「修行の旅に出ようと思っています」

「その修業の目的は何か」

弟子は「わかりません」と答え、師は「ああ、知らないことがもっとも親密なものだ」と告げるのです。

ステファン・ボディアン『過去にも未来にもとらわれない生き方』

 

 

 

 

 

[本]悟れば君も超人になれる、のではなくて(サリー・ボンジャーズ『わかっちゃった人たち』)

今日は黄色い本を紹介します。サリー・ボンジャーズ著、古閑博丈訳『わかっちゃった人たち』です。副題は「悟りについて普通の7人が語ったこと」です。そう、副題が内容をそのまま表しています。

なんだかとても風通しのいい、気持ちのいい本です。教えようとせず、聞かれたから答えているといった感じの「普通の7人」が、それでもそれぞれに個性的で、チャーミングです。

以前読んだときは「わかっちゃった」ことが羨ましくて、どうやってそれが起こったんだろうということを読もうとしていました。でも、今回はそういう感じではなく読んでいました。どういう感じなのか言葉で説明するのは難しいのですが……。

鍵穴は通り抜けられません。「あなた」は問題ないし、どこかに行く必要もないんです。「自分はまだだ」とか、まだ先があるという感覚も、あっていいものなんです。それも全体の一部です。

 

つけ加えてもいいかしら。私はたぶん前よりも退屈な人間になったんじゃないかという気がします。(…)ひとりでいるのがすごく楽しくて、何もしないで静かにずっと座っていることもあります。(…)とにかく前よりもちょっと面白みがない人間になったような気はします。

 

 

私はずっと悟ればすべてが解決すると思っていました。悟ればあらゆる問題が消える、悟った自分は特別な人になって、やりたいことをなんでもできると思ってきました。少し前に「個人は悟らない」という言葉に出会い、しばらく大事にしていたので、悟って特別な人間になるという矛盾した望みは薄れてきました。

この本はごく普通の暮らしを送る人ばかり出てきます。悟った人がみんなスピリチュアルスターになるわけではありません。

私自身、悟れば何かが書ける、人に霊的なことを教えることができるとも思ってきましたが、悟ったら、個人としての私は書くことに関心を持たなくなるかもしれません。個人としての私が長年抱いてきた夢を、なんとも思わなくなる可能性があるわけです。もっというと、悟りを渇望してきた私が、ああ、「個人としての私そのものが妄想だったんだ」と気づいて、ただ純粋に目の前の妄想を楽しむようになり、それまでの自分が軽蔑してきたような生き方を始めるかもしれませんよね。

でも、どうなろうと知ったことではありません。それでもかまわないと思います。いまは「どうぞお好きにしてください。どうせ私にはなんの決定権もありません。この世界に起こることをコントロールすることは不可能です」という気分です。

仏教系のありがたいお話?(草薙龍瞬『反応しない練習』他)

お掃除中にAudibleでお坊さんの話を聞きました。日頃スピ本スピ本と言っている私ですが、白人コンプレックスバリバリなのか西洋系スピリチュアルに偏っています。西洋系を経由してのインドとか。仏教はあまり聞いたことが無いのですが、なぜか聞いてみることになりました。

最初に聞いたのはこれです。

「生きていることは苦だ、苦だ、苦だ……!!」と繰り返して言うので笑ってしまいました。残っているのはそれだけです(笑)。そんなつまらん本なわけじゃなくて、聞き流しているので何日かしたら忘れてしまいました。ズケズケ容赦せずに言ってるのはいい感じです。この新書のシリーズは「怒らないこと」が有名でかなり売れていると思いますが、デザインが秀逸なんじゃないでしょうか。オレンジの丸がインパクト大です(暴言)。

 

次にこれ。

著者の朗読がうまいです。法話慣れしてるんでしょうね。うまいし頭がいい人という感じ(東大出身と聞いてのことか)。ブッダはとても合理的な人だということでした。これを聞いた何日か前は、「反応しない」ことがすごくいいことのような気がしていたんですが、今の気分は別に反応してもどうでもいいという感じです(笑)。やっぱり何を言っていたのか忘れてしまっています。いわゆる「内観」のような、自分の反応を客観的に見つめるメソッドについて語られていたような。

いいこと言うな、と思ってメモったのが、「やりはじめたら結果は忘れよう。そのほうが楽しいから」という言葉でした。

そしてメソッドがいっぱいです。フレーズとか。問題に直面したら、いつも「方法はある」とつぶやく。これは使えそうですね。

ただ、どうもですね、読者に対して妙に優しい雰囲気があるんですよね。「自分たちはもっとやばいところまでわかってるんだけど、そこまでは言わないから、危なくないこのくらいのところまで教えるからね、これを守ってれば平安でいられるよ〜」っていうふうに見くびられているような気がして……と仏の道にあるまじき対抗心!!我欲よ!!

しかも、書いていてこの本そうだったかなーと思えてきました(笑)。立派な人だな―ふむふむなるほどね、と思いながら聞いた気がします。昨日読んだ賢者テラさんの本への感想が重なっている匂いがプンプンしてきました。Audibleで感想を書くのは危険ですね。

[本]熱中型充足と忘れることの効能(高城剛『白本 弐』『黒本 弐』)

高城さんの本は一気に読めるだけ読んで、自分の中の過熱は収束に向かったのですが、あまり記事にまとめられていないのが心残り。特にいくつか記しておきたいものがありましたので引用しつつ紹介します。

先週、東京滞在中の僕は毎日秋葉原にラジコンのパーツを買いに行っておりまして、行き帰りの地下鉄で、あと2週間後に発売になる新刊の原稿をバリバリと書き、駅に着いたら一目散にラジコン屋に向かって、帰りの地下鉄でも再び原稿を書いて、宿屋で買ってきたばかりのパーツを組み上げる日々を続けています。気がつくと、ロクな食事をとってないことも多く、ラジコンと新刊執筆以外、何も考えていないことがわかります。というか、考えられません。なにしろ、秋葉原に行くには東京滞在中しか時間がなく、新刊発売日まであと2週間だからです(汗)。メール返信もとても無理です。よく覚えておりませんが、恐らく嫌なこともあったんだと思いますが、それを思い出す暇がありません。気がつくと、どうでも良くなってますから。嫌なことがあっても、死ぬ訳じゃありませんしね。それより、パーツ集めです!

 

『黒本 弐』

こういう熱中型の充足というのは昔から憧れがあります。ときどき自分も作業熱中式の悩みゼロ状態になるのですが、それが終わるとまた漠然とした悩み→自己探究に戻ってきます。まあ楽しいのでいいのですが。

ホリエモンにしても高城さんにしても、燃え尽きるということがないのでしょうか。普通の人は頻繁に燃え尽きて、また燃やす燃料と発火剤が必要になるので疲弊するのかなと思います。自分にとっての楽しさということがポイントでしょうかね。

また、同じように自分のことも覚えておらず、忘れてしまいますし、同時に今のことも考えていません。では、何をしているのか、と言われば、考えるという作業をせずに、分かるまでただ待っているのです。上手く言えないのですが、よく「ピンと来る」などという言葉で話しますが、時には「ピン」ではなく「ジワー」の場合もありますし……

僕の特技?というか問題のひとつに、過去のことをほとんど覚えていない、というのがあります。物事だけではなく、以前お会いしたとても大切な方や有名人、信じられないほどキレイな女性まで、失礼なことに80%は忘れてしまうのです。僕がたったひとつ才能があるとしたら、「悩みを深く考え込まない」ことだけだと思います。

『白本 弐』

忘れるという特質は本当に重要だなと最近強く思います。そして考えないというのもいいですね。さっき見たガンガジの動画でも、「最大の邪魔者は「私とは誰か」という問いであり、それは過去を思い出すことと未来を投影することから成っている」と言っていました。で、「ああ、過去のことをどんどん忘れる話いい感じだったよな〜」と高城さんのことを思い出しました(笑)。

忘れるからこそ、つねに燃えられるのかもしれません。さっき燃えたことを今はもう忘れていれば、「いつまで燃え続ければいいんだ!」とか、「次に燃えることは…」と考えることもないでしょうから。何かに熱中することは、過去や未来なしに起こることですもんね。

高城さんの本はKindle Unlimitedでたくさん読めるのでおすすめです!

関連記事

[書評]この国の息苦しさを暴いて深く深呼吸しよう。(高城剛『黒本』)

[書評]楽しむために私は生まれた。(高城剛『魂の再起動』)

 

[本]感情のひとつとしての幸福ではなく(ロバート・シャインフェルド『なにが起こっても、『絶対・幸せ』でいる法』)

超おすすめ本なので紹介したくてたまらなかったのですが、どうにも言葉で表現することが難しく、ついつい先延ばしにしてしまいました。とはいえもう9月も半ばであり、今年もラストスパートに入ります。秋分の日に向けた浄化と世界の変化に向けて、ぜひ興味のある方に読んでいただきたいと思い、どう紹介すべきかまだ悩み中ですが、見切り発車で始めてみます。

私がこの本を読んだのは確か8月初旬で、これは素晴らしいと思って帰省時にも旅行時にも持っていきました。本はこれ一冊でしたのでお風呂で読めるのはこれのみ。おかげで繰り返し読むことができました。一冊の本を繰り返し読むことはときどき素晴らしい効果を生みます。

非二元についての私の理解が正しければ、この本はとてもわかりやすい非二元のテキストです。内容はある意味オーソドックスで、突飛なことは言っていないので「目からウロコ!」とは思わないのですが、私自身初めて何かが腑に落ちたのは確かです。

以下、概略。

結局のところ人が望んでいるものは幸福だ。けれど、人は幸福がそもそもなんなのかを理解していない。幸福は通常考えられているような「ポジティブな感情」のことではない。ストーリーによる意味付けがなければ、感情にはポジティブもネガティブもなく、ただ存在するだけだ。映画やジェットコースターで感じる感情を考えてみればわかる。恐怖という感情は本来的に悪なのではない。感情はただのエネルギーだ。では真の幸福とはなんなのか。それは、あらゆる感情を存分に経験すること。物語が意味付けする前の純粋な生の経験という真の幸福を経験しよう。これは理論でもメソッドでもなく経験の問題だ。

 

おそらく私が紹介する自信が持てず躊躇したのは、まだまだ消化しきれていない部分があるからでしょう。腑に落ちたといったのは「感情(の意味)は問題ではない」ということが、無意識に自分を責める自分にはっとする気づきを与えてくれたからです。私はスピ街道を歩くものとして、「いいでいなければならない。幸福でいなければならない」と、知らず知らずのうちに自分を縛っていました。いつでもいい気分いられない自分が苦しかったのです。怒りやいらだちという感情を悪としているのは自分なのだということ。別に怒りは悪でもなんでもないと知ってだいぶ楽になりました。(そして今、これまでスピ系テキストを書きたいと思いながら書けなかったのが書けるようになったわけがわかりました。いつもいい気分でいられない自分には書く資格がないと思っていたのが、感情はどうでもいいと知って安心したのですね。)

とはいえ、生の感情を経験するという至福にあずかっているかというとどうでしょうか。ただ本書で紹介されている「レッドピル」はもう飲みましたので、「真実のウィルス」は時間とともに働くことと思います。

 

経験していない以上、蛇足になってしまいますが、少し付け加えます。この本を読みながら、以前、高木悠鼓さんが「個人は悟らない」と書いていたことを思い出しました。普通、私たちが感情と呼ぶのは、個人の感情です。「私という個人にとってどのような意味を持つか」というのがふつう、感情の意味であり、それが勘違いのもとです。つまり、シャインフェルドが言う「真の幸福」「生の感情の経験」は個人的なのものではないのだろうなと思います。

[本]豊かさの極意は自分が福の神になること(大木ゆきの『神様にお任せで、勝手にお金が流れ込む本』

今日も大木ゆきのさんの本を紹介したいと思います。ちなみにスピ本1000本ノック7本目です。『神様にお任せで、勝手にお金が流れ込む本』というタイトルどおり、みんなが気になるお金をテーマにした本です。といっても、中身はいつもと変わりません。

愛や夢にはぶっとんだことを考えられる人も、お金というとどうにも現実的で常識に縛られていることがよくあります。私の近くにも「そうは言っても食べてく分は稼がなきゃならない」というのが口癖の人がいました。「食べていく」ということに関する恐怖は生存に関わるだけに結構しぶといものがあり、そのことが「お金」の観念をガチガチにしている可能性があります。

さて、大木さんのメッセージは相変わらずシンプルですが、最新刊ということもあり、より伝え方は明確です。

豊かになるには、福の神と周波数を同調する、つまりおんなじように感じることです。

 

おんなじように感じるとは、

1.ありのままの自分を完全だと認める。

(福の神はそのままのあなたがかわいくてしかたないわけで)

2.やりたいことをやりまくる(歓びの周波数)

(福の神はいつだって歓びの周波数にいる)

この2本の柱をもとに、話が進んでいきます。

「ありのままで完全」を認めることは、どれほどの豊かさをすでに持っているかに気づくことが大切だといいます。大木さんは生存と経験の奇跡、時間の豊かさについて書きます。

命を与えられているっていう価値の尊さを忘れている。
生きているってすごいことですよ。
命ってものがなきゃ、何も始まりませんからね。
その命っていうすごいものを与えてられているってことを認めるということは、福の神の豊かさの周波数とものすごくシンクロすることになる。

……どんな体験もね、体験したこと自体がすごいことなの。
そういう数え切れないほどの様々な体験をしてきたってことが、ものすごい財産なんです。この財産を認めるのは、生かされているっていう価値を認めることの次に大事なこと。
経験という財産があるって認めると、それを生かす道に福の神は導き始めるんです。

 

(ゆとりを)……持てる自分は、実はすごく豊かな人間なんだって認めちゃって下さい。  つまりね、これは、福の神があなたにちゃんと「時間」っていう財産を与えてくれているってことを認めるってことでもあるんです。これが財産なんだって認めれば、他の財産だって流れ込む間口を広げることになるんです。

 

生きているから、私は今この文章を書いていますし、あなたもこれを読んでいます。そして生きているからこそ、ささやかだけれどかけがえのない経験を今日もしたのです。

 

このことがわかると最強でしょうね。実は私にはまだピンときていません。当たり前のことに思えてしまうのです。

 

そして、定番のこのワークも有効です。

「どんな自分も受け容れられるようになる」ワーク
・朝目が覚めたら、横になったまま、軽く目を閉じます。

・胸の中央に両手を重ねます。

・そして、「私はありのままで完全です」と唱えます。

 

 

 

次に「やりたいことをやりまくる」に関して。

これはまったく単純です。とにかく余計なことを考えずにやりたいことをやる、以上!

でも、人はいろいろなことをつい考えてしまうのです。お金が入ってこないとか、これをやってこの先どうなるんだろう、とか。

それを考えずに、今やりたいことを徹底してやる、ということをゆきのさんは推奨します。また、「やりたいこと」を大げさに考えず、まずはご飯のメニューから、などの身近なところからでいいということもポイントですね。

「私はコレがやりたい」を貫いても、すぐにお金が入ってこないこともあるかもしれません。そういうとき、これでよかったのかなって不安に思うこともあるかもしれませんよね。
でもね、こういうときほど妥協しないことなんです。徹底的にやってやってやりまくる。

あなたは、ただただ今はこれをやりたいなっていうことをやっているだけでいい。

他に何もいらない。
余計なことを考えなくていい。

こっちが頭を使わない方が、福の神にとってはやりやすいんですよ。
ひたすら流れを信頼する。
逆らわない。
これが極意です。
そうすれば、気づいたらびっくりするようなところに運ばれていた♪ってことになっちゃうんですよ。

 お金って頑張って稼ぐものじゃない。
自分が心から満たされ、歓びあふれる生き方をすればするほど、向こうからやってくるものなんだってことを、あなたの人生を通して、人に見せてあげてください。

これは私の経験上思うことですが、やりたいことをやるのは自己受容がある程度進まないと難しいかもしれません。

たとえば夕飯のメニューしても自分の好きなものを選んでいるよ、と言いながら、無意識に自分を抑えていることに気づかないのです。

自分の食べたいもの、行きたいところ、欲しいものではなくて、お金や周りの人の要望など諸条件に基づいて決めることが自分のしたいことだ、と長く刷り込まれた勘違いが続いているのです。

また、夕飯のメニューにしたって何も浮かばない、なんでもいいというような場合もあります。もちろん欲がないフラットな状態ということもありえますが、あふれる豊かさに包まれていないのであれば(笑)、自己否定のためだと考えます。自分を責めているのです。

それについては先日記事を書いたので読んでみてください。
「あっと驚く不幸の正体」

 

話がそれましたが、大木さんの本、温かくておおらかで自然なメッセージにあふれていて、おすすめです。

 

[本]あなたは何も欠けていない。だから好きに生きよう!(『100%の幸せ』大木ゆきの)

大木ゆきのさんという方を知ったのは今年に入ってからです。今では何がきっかけだったかわかりませんが、ブログを見つけて夢中になって読みました。眠る前と目覚めた瞬間に「私はありのままで完全です」と胸に手を当てて唱える、という彼女のメソッドをしばらく繰り返していました。シンプルですが心が安らぐ素晴らしい方法です。

今回ご紹介するのは、『100%の幸せ』です。ゆきのさんの本はほかに3冊読んだことがありますのでそちらも追々ご紹介したいと思います。内容的には既に読んだ直近の三冊と変わりません。最近のほうがよりメッセージが深まった、というようなことはありません。むしろ初めから明確だったんだ、核たるものは何も変わらないんだ、と思った次第です。そしてこの本こそむき出し。溢れ出るものを溢れ出るままに書いていて、そこが少し新鮮なくらいです。

ビジネス書などであれば著者も徐々に成長して、ということが当たり前でしょうし、同じことばかり書いてると、進歩がないとか水増しとか一冊で充分、というようなことをAmazon書かれたりします。でもスピ本にとっては、同じことを繰り返しているというのはほっこりするポイントです。本質は何も変わらないし、成長もしません。それでも新刊が出るのは、新鮮な言葉が収録されていて、生まれたての、生きている言葉に触れられる楽しさがあります。(水増しとか不要とか言われてしまうのは、楽しさが感じられなかったりするせいかもしれませんね。)

ほとんど同じことを繰り返し語ることが、心の扉を開くには大切なポイントです。スピ本の多くがシリーズ化していたり、何冊か続けて出る傾向にあるのはビジネスという側面を強調して見ることもできますが、私はある程度の繰り返しと量に意味があるような気がします。作者も読者も求めているのではないでしょうか。

この本が大きゆきのさんの最初の作品であるなら、確かに、ぎゅぎゅぎゅっと彼女の思想のエッセンスが詰まっていると思いますし、書き方も、まさに「宇宙におまかせ」で、言葉が思考によってではなくフローとして書かれていることが実感できます。そしてそれが読み手を癒やしてくれます。

彼女のメッセージは、「あなたは完全なんだから、どうしたらいいかなんて考えずに、とことん好きなことをやればいいんだよ。そしたら宇宙が全部与えてくれるよ」ということ。本当にそうなんだよ、と繰り返し教えてくれているような温かさがあります。

自分を不完全だと見る前提があるからこそ、人は現状を変える方法を求めます。自分が完全なら、ただ存在しているだけ充分です。なんなら好きなことやろうか、という感じです。好きなことをやるにも出発点が全く違うのです。自分を完全だと知っていれば、好きなことをするのは楽しいだけでしょう。でも自分を不完全だと思っていると好きなことを楽しめません。

だからまずは自分を「頭ごなしに信頼する」必要があるのです。そしてそれさえできれば、すべてがオセロをひっくり返すように変わっていきます。宇宙におまかせ人生の始まりです。

 

以下、大木ゆきの『100%の幸せ』より引用

何かができていない自分を、けなしたり、責めたり、なじったり……。 あなたは、何かいけないことをしたのかな? そのときは、それが精一杯だっただけなんじゃないの? あなたは何かができない自分を、ずっと罰していませんでしたか? もういいんですよ。 許してあげて。 あなたはダメだったんじゃない。 必死に生きてきただけ。 どこもおかしくなかったんですよ。

でも実は全く別なルートがある。 それは、これはこれで完全なんだって、頭ごなしに信頼する道です。 そこに根拠も理由も何もいらない。 だってそうなんだもんでいい。

感情はエネルギー。 「つらい」「苦しい」「悲しい」も、 「怒り」「ねたみ」「憎しみ」も、 「うれしい」「楽しい」「幸せ」も、おんなじエネルギー。 ひとつの感情だけ感じなくさせることはできない。

本当の幸せには理由がない。 ただ幸せ

あなたは人をどうにかしようとしなくても生きてていい。 本当は存在しているだけでかなりすごいことなんですよ。 だから、今これやってて楽しいなってことを、馬鹿みたいにやるだけでいい。

「これをやってどうなる」ってことに囚われなくなるって、本当にすごいことなんですよ。 どうなろうと宇宙にお任せしますって決意できると、先の保証に囚われなくなる。 それはとてつもない自由なんです

そもそも全部あるんだから、別にもういいじゃないって気楽になって、求めようともしなくなり、期待もしなくなり、生きることが最高の遊びのような境地になるとき、頼んでもいないのに向こうからやって来る。そうなったらね、やってても、なんか面白いだけ。

宇宙を、己を、有限のものと思っているところに、何かを握りしめる発端があることがわかりますか?

無限こそが本質なのだと腑に落ちていれば、もう何も守る必要もない。 もう受け取ろうとすることさえいらない。 降り注がれるものを浴びるだけでいい。 浴びようという意志もいらない。 ただ「そうなんだ」。それだけ(笑)。 軽いですね自由ですね。 楽しいですね。 好きに生きるだけですね。

徹底的に好きに生きれば生きるほど、 不思議なことに人生って開けます。

残念ながら保証なんてないんです。 丸腰じゃないとダメです。 保証をかなぐり捨てるっていうことが飛び込むっていうことなんです。 どうなるかわかんないけど、そっちの方が面白そうだから、ええいもう、どうにでもしてくれ、後ろから蹴飛ばすなりなんなり好きにしてくれ、って思った瞬間、背中に羽が生える。

だからね、あなたもメーター振り切るほど、好きに生きていいんですよ。

「うまくいく方法」。 そんなもん、本当はないんだけど、あると言えばある。 それは空(カラ)になること。 求めるのを全部やめること。 未来に期待するのをやめること。 方法さえつかめばうまくいくんだというのを脇に置くこと。 天よ、どうにでもしてくれって開け放つこと。 一番認めたくないことを、さっさと認めてしまうこと。今やっていることを無心にやること。 目の前のものをただ見つめること。 キューっと苦しい感じがしてきたら、そのままキューっとしておくこと。 湧き上がる感情は、湧き上がらせること。 眠くなったら寝て、食べたくなったら食べて、話したくなったら話す。 「これしたい」とピカッときたことをやる。 そういうのをやり続ける。 なんか特別なことをしなきゃいけないわけじゃなくて、ただ自然のままであるだけでいいってこと。

私は笑っちゃうような全く別な、豊かさを受け取る極意を知っています。 それは貧乏を楽しむっていうことです。貧乏までも楽しめるというのは、究極の豊かさだからです。 こういう人は、 どういう状況をも豊かさに変える錬金術師なんです。

問えば問うほど、答は遠のく。 知ろうとすることをやめて、知らないまま、放り出せ。 知ろうとしないとき、たった一つの答がおのずとそこに顕われる。

あなたはもっとこうなっていないとダメだって思って、何かを欲しいと思ってきた。 それで欠けている部分が埋まると思ってきた。 でも、本当はどこもおかしくないし、何も欠けていなかったんだっていう真実に触れると、 「あれっ?なんでそんなに欲しいって思ってたんだろう?」とちょっと違和感を感じ始める。 「私の本当の望みってそんなんじゃない」 そうなのよ。何を齷齪して来たんだろうって、拍子抜けしてしまう。 どうせ大丈夫に決まってるじゃん!みたいな根拠のない自信のようなものが湧いて来る。 そして毎瞬を、宇宙に導かれるまま、生きはじめる。 すると、もう何かを何としても欲しいとは思わなくなったのに、宇宙がいろいろなものをどんどん与えてくれるようになる。

世の中には、欲しいものを手に入れる情報が溢れています。でもさ、その方法ってやつを、やめてしまうことが、ある意味一番早く満たされる道なんです。

[本]この国の息苦しさを暴いて深く深呼吸しよう。(高城剛『黒本』)

高城本2冊目です。「日本の真実」についてのQ&Aからまとめた『黒本』。質問内容は多岐に渡り回答は具体的です。何をやっているかというとこの国の息苦しさの仕組みを暴いて息をしやすくしています。システムに対する傾向と対策ですね。

僕自身はfacebookを活用していないのですが、その理由は「幸せ」と「楽しみ」を見つけられなかったから

これ、ほんとに共感します。Facebookには幸せがない。本能的に避けたくなる何か、すさまじい渇きが渦巻いているように感じるのです。といって明日には楽しく活用し始めるかもしれませんが笑。高城さんはSNS全般にコミットしない方針のようです。

日本では、音楽性よりも「若さ」のようなものが産業に年々なっていると、残念ながら感じます。これは、産業というより聞き手の問題であり、高齢化社会の反動なのかもしれません。

今の日本の映画産業は、一見テレビ局が仕切っているように見えますが、そうではなく、一部の芸能プロダクションが仕切っているのです(実は、テレビドラマの映画化も芸能プロが考えています)。芸能プロの目的は、良い映画を作るというより広告のためのイメージ作りが映画出演の目的です。

 

広告のためのイメージづくりの映画がおもしろいわけはありません。広告って最悪です。楽しさではなく欲を追うことで自分の首を締めている。古いです。終わってます。下世話な憶測ですが、エリカさんが高城さんと結婚した理由がこの箇所を読んでわかりました。こういうことを説かれて心酔したんだろうと。でも彼女は闇の世界に戻ってしまいました。童話のようなお話です。

 

この「なにかに依存する心」を求める人は、今後ますます増えることになると僕は思います。それは、「自分を見失ってしまうから」起きることだと思います。その原因は、日々社会が「愛」も「お金」も「友情」も「モノ」も「情報」も「つながり」も、「あなたは不足してますよ!」と訴える仕組みでできているからです。

現在、多くの人は「自分は不足している」と感じている上に「もう補えない」と思っているので疲弊しているのです。

 

(同上)

本当にその通りです。「不足していますよ!」というメッセージでなんとかやってきたのがこの近代というものです。脅迫以外の何ものでもありません。

「あなたにはあれもこれもなにもない。どうするんですか!……安心してください、ここにいいものがありますよ……」

なんておもしろいゲームでしょう。みんなが初めから気づいていたらこのゲームはできなくなります。

 

脅迫する側の人たちは、馬鹿なみんなが気づくわけないと高をくくりながら、内実そのことをものすごく恐れています。恐れがどれほど機能するか我が身を持って知っているから、脅迫するのです。対抗する方法は、彼らさえ知らない真実を見ることです。認識から始まります。何を認識するのか。次のことです。

 人生は、楽しむものです。

多くの日本の20代の方にお会いすると「人生の楽しみ方」を知りません。

今の日本の社会が「楽しむことはあまり良くないこと」と、どこかで決めつけているからです。

人生は楽しむもの。この根本を忘れてどれだけの時間と空間をさまよったことでしょう。生まれたての赤ちゃんは知っています。私たちは楽しむために生まれたのです。問題解決するためではありません。足りないものを満たすためではありません。いいとか悪いとかじゃなくて、事実です。

壁は巨大ではないですよね。そのように「設定」してしまっていることが問題なのです。

一体、どのようにして頭の中の「設定」フラグの立て方を変えればいいのでしょうか?
僕がオススメしているのは、頭の問題は身体で解決する、という方法です。
ジョギングでもウォーキングでもなんでも構いません。決まった時間に決まった距離を走り、その距離を少しずつ伸ばしていきます。なにも考えずに黙々と走っても、音楽を聴きながら走っても、悶々と悩みながら走っても構いません。今日はもう走れない、と思ったところからあと100メートルだけ走ります。信じられないかもしれませんが、ほとんどの場合、これを数ヶ月続けることで、ご自身で作った巨大な壁の「設定」を変えることができるのです。
頭のなかにある「できない、無理」の壁を乗り越える具体的方法です。村上春樹的ですね。

どんな女性に魅力を感じますか?

タフだけどチャーミングな人。

ふーんと思ったけど、じわじわきます。同感!