一人称のクリアなビジョン『ホームには誰もいない』

ヤン・ケルスショットの『ホームには誰もいない』を読んだ。タイトルが(ミステリー小説みたいで)かっこいいなと思って前から気になっていたのだけど、一年くらい前に本屋さんで手にとったときに「おお文字ぎっしり」と圧倒されて、本棚に戻したのを覚えている。それでも気にはなっていて、数日前、KindleUnlimitedで読めるようになっていたことに気づいてうれしくなって手にとった。

この本は、ダグラス・ハーディングの「頭がない方法」を使って、誰もいないということを説いていくいわゆる非二元系の本だ。「頭がない方法」の実験は動画を見たり、『今ここに死と不死を見る』を読んだりして、私もやったこともあるけれど、よくわからなかった(よくわからないなりに結構しつこくやった)。

それがこの本の説明を読むと、あ、というのがあって(といっても、自分がひゅんと消えたりはしていないけど)、前よりはだいぶわかった。鏡を見て、鏡に映っている三人称の自分を見たあとで、じゃあこちら側にいるのは? と見てみると、以前は「いやいやこの写っている人の元がいるよ」とか思っていたけれど、いまはなんとか「ああー、そんな単純なことか」と思った。

自分の手を眺めて、自分はこの手の中に閉じ込められているのか、それとも、自分の中にこの手があるのか、という問いかけがダグラス・ハーディングの本にある。それから、実験で床を指差し、自分の投げ出した足を指差し、腹、胸、ときて頭を指差す。そこに何があるか?という実験もある。

これらの実験がおもしろい、とは前にやったときにも思っていた。とても重要なことだという予感もしたが、予感どまりだった。たぶん単純過ぎて受け入れられなかったのだ(今もそれなりだ)。

私はそのとき大学で哲学を勉強していて、その話を大学の友人にした。「それがウィトゲンシュタインがいっていたことだ」とその友達は言った。私はウィトゲンシュタインは一年間ゼミで『論考』を勉強したのだけど、ちっともわからなくてよくその友達に相談していた。だから、ほーーそうなのか、と思った。でもその友達は結構生きるのが大変そうで、ウィトゲンシュタインもあまり幸せそうではない哲学者のひとりだ(哲学者はたいていあまり幸福そうではないが、不幸そうな哲学者ランキングでもウィトゲンシュタインはかなり上位に入るだろう…)。私は「これ」がわかったらハッピーで無敵になれるんじゃないかと思っていたので、意外だったし、そのことを友達に言いもした。友達は笑っていたような気がする。

この本にもウィトゲンシュタインの引用があった。

私たちを煩わせること、それは
マインドは自分の中に住む小さな人間だと
私たちが信じてしまうことである。

ウィトゲンシュタインとダグラス・ハーディングは、『ただそのままでいるための超簡約指南』でも、こんなふうに紹介されている。

「意識」や「知覚」といった用語はそれ自体、「~を意識している」「~を知覚している」という経験をかなり不可解なかたちで具象化、あるいは奇妙なかたちで名詞化したものだけれども、そういう経験は頭の中で起こっているとは限らないんじゃないだろうか。知覚は経験の構造そのものだ。知覚が頭の内側に存在しているなんてことがありえるだろうか? (このことをはっきりと指摘した人は多いが、もっとも卓越していたのは後期の著作におけるルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、それにダグラス・ハーディングだ

(ここだけ読むと難しいけど『ただそのままで〜』はすごくわかりやすい本。)

ウィトゲンシュタインのことはまあ、いい。とにかく、ヤン・ケルスショットのこの本はおもしろくて、おもしろいなあおもしろいなあと思いながら読んだ。

彼らが私たちに向かって指を差し、「あなたは、あの小さい子なんだよ」と言うのを聞きながら、徐々に私たちは一人称で見ていた自分の世界、開かれた気づきでいられる世界を、他者の視点から見る世界に交換していきます。これを「三人称のビジョン」と呼びます。第三者、外部者が築いた概念だからです。言い換えると、自己という感覚を築くにあたり、他者が自分についてどういうイメージを持っているかがどんどん重要になっていくということです

三人称のビジョンで生きるとは、他人のようにして自分を生きることで、普通にとても不自然だ。でも、それをやってる。思うのだけれど、思春期に生きるのが急激にしんどくなるのは、本格的に三人称で生き始めるからじゃないだろうか。三人称でいなければ、三人称の自分を強化しなければという思いこみが強くなる時期だ。

でも、だからといって人はずーーっと三人称のビジョンで生きているわけではない。一人称の自分、つまり開かれた、透明で、無限な自分であることも普通にある。だから、意識的に一人称の自分に気づいたとき、なんだ、これのことか、となる。

とても簡単な質問です。相手の目を見たとき、自分の目も見えますか。思考せずに本当にクリアな状態で見ると、自分の側にはクリアな空虚が見えます。

内を見つめないとしたら、 外も見つめないとしたら、 何が残る? それになりなさい。 ――ミラ・パガル

「これが私の感じていること」「これが私の考えていること」「これが私という人間だ」などと言います。最終的にはいわゆる自分の特徴をすべて集めて一つの箱に入れ、「これが私だ」と言うのですが、そんな風に言い切ることが実際に可能でしょうか? 思考、感情、知覚の集まり、本当にこれが私たちなのでしょうか?

私たちは、真に永続する「人」を私たちの中のどこかに見出すことができるでしょうか

 

自分というものを強固に立派なものにしたくて歯をくいしばって、というほどではなくてもそれなりにがんばってきたと思うのだけど、「自分がいない」がこんなに解放的だというのはどういうことなのだろう。ほんとうにふざけている。

美しい挿話があった。湖に浮かべたボートでのんびりしていると、いきなり別のボートがドンとぶつかってくる。頭に来て怒鳴ってやろうと思って振り返ると、ボートには誰も乗っていない。

「他のどのボートにもキャプテンがいないように、私のボートにもキャプテンはいないのだ」と、今彼は気づいています。ただ、いるように見えているだけなのです。

 

非二元のテキストがいいなと思うのは、こまめに「神聖さ」が不要であると注意してくれるところだ。私は努力して何かいいものになろうとしなくていい。あーそれってなんて素晴らしいことだろう。

自分から何かを取り除こうとするのは、まったく無駄なことです。なぜ私たちは神聖な状態にいなければならないのでしょう? どうして自分の人格を裁いたり、エゴをなくそうとしたりしなければならないのでしょう? 素のままの意識は、それの中に生じるものに判断を下すことに関心などありません。テレビ画面は俳優が何か言ったから、何かしたからと判断を下したりしませんが、それと同じです。

トニー・パーソンズは言います。「だからリラックスし、すべてが生じるままに身を委ねなさい――いずれにせよ、すべては生じるのだから。あなたがどう振る舞うべきか、どうあるべきか指示をするこの見せかけばかりの内なる声を手放すのだから、さぞかしホッとすることでしょう。今ここで、ただ手放しなさい」。これを読んでいる間も、これらの思考が生じては退いていくのを何かが見ている、そんな感覚をおぼえるかもしれません。まさに今「上後方に何か」がいて、見ているような感じがするでしょう。この目撃者は判断を下す能力を持たず、ただ単純に見ています

 

ところでこの本がとてもおもしろく読めて、読了後の今も気楽さがあるのは、何かを理解しようとか、救いを得ようというのではなくて、「読みたかった本がUnlimitedに入ってるぜ ラッキー♪」という気分で読み始めたからだと思う。Kindleということもあり、最初は流し読みでどんどん読んで、気になるところを読んで、また頭から読み返したり、適当に読んだ(笑)。こういう本は、あまり真面目に読まないほうが(深刻に受け取らないほうが)、かえっていいのかもしれない。

 

ちなみにこれを読んで「頭がない方法」のサイトを久々に見に行ったら、ヤンがダグラス・ハーディングの2000年のインタビュアーをしていて、知り合いにあったような気持ちになった。http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank021.html

今日のスタンプ

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「架空OL日記」という幸福なファンタジー

今、私の中で第二次夏帆ブームがきていて、時間があると出演作をいろいろ見ています。そのきっかけになったのが、この「架空OL日記」でした。

録画されていたものをなんの予備知識もなく見始めたので、「え、なんなの? なんなの?」と動揺しながら、ときどき思い出したようにひとり声をあげて笑いました。

できればこれから見る人にもなんの予備知識もなく見始めてほしい(といいつつ以下内容に触れます)。おそらく深夜ドラマで放送されていたときはそういう人も多かったはずで、そういう出会いっておもしろいですね。そういえば、私に第一次夏帆ブームが来た「みんなエスパーだよ」も、テレビをつけて「なんだこれ??」となったんでした。

リアルな女子像という架空

まず、バカリズムが朝、普通の女の子っぽく起きて、顔をあらって、ナチュラルメイクをして、普通のカジュアルな女子の格好で、一軒家を出ていきます。

(バカリズムが女子であることに関する説明は一切ありません。説明されないと、それはそれで受け入れて、見慣れて、ごく自然になります。)

空はだいたい曇っていて、冬みたいで寒そうです。満員電車に苦悶の顔を浮かべ、駅に着くと職場の同僚で友達の夏帆と合流する。そして「だるいね」とか言い合いながら、職場である銀行に向かう。これがもう毎回のようにあります。

毎度毎度起こることも同じです。ロッカールームでのちょっとした、本当にちょっとした事件、仕事中のうざい上司のふるまい、使っても使わなくても昼食代を引かれるから使う社食でのひとコマ、そして仕事終わりに寄るカフェやイタリアン、中華料理店での会話。ダイエット問題とジム。悪意に満ちているようで、実は大して気にもしてない、反射的に出て延々続く上司の愚痴。ささやかだけれどたしかに偉大なOLのなかのヒーロー(コミネ様)の誕生。

凡庸な幸福感が持続する非現実

ひたすら銀行に勤めるOLの単調な日常の繰り返しがおもしろいのは、ほっこりしつつもぴりりと毒の効いた会話がおもしろいこと。平凡な女子行員たちがそれぞれしっかりキャラクターがあり、それを演じる役者たちがみな達者なこと。なんかどこからどこまでアドリブなのかなーと思うような愛しいシーンの連続で、このままサザエさんみたいに永遠に続いてほしいような気がしてきます。

日常とはかくも平和で満ち足りたものなのか、と感嘆し、いや、そうではないから架空なのだと思い直す。こんなに愛に満ちたロッカールームを私は知りません(ロッカールーム自体ほぼ知らない)。

夏帆もコミネ様を演じた臼田あさ美も華やかなのに、なんでもない日々に溶け込んでいます。映像の、ずっと曇ったグレーっぽい色合いもよかったな。そしてバカリズムすごい。結構男っぽい人だと思いますが、女子に溶け込んでいます。これって、なかなか難しいこと。でもこれができるから、脚本でOL(架空)の声を書けるわけですね。

アイキャッチは「なんだよそれ」と思って、思わず画面を撮影したシーン。このあと臼田演じるコミネ様が「どけー」とか言ってどかします。その具合が絶妙でした。

ちなみに最終回、ラストはどうでしょう。いち視聴者として言うのは簡単だけど、言います。そのオチいる!?(笑)。

※「架空OL日記」はHuluで見ることができます。

 

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バシャールの公式に学ぶ / バシャール×安藤美冬『未来を動かす』

バシャールと安藤美冬さんの対談本『未来を動かす』を読みました。

バシャールは結構対談本を出していて、須藤元気さんとか、本田健さんとか、スピリチュアル過ぎない(?)人がバシャールにはまるようです。私はバシャールはときどき読み、そのメッセージもおもしろいなと思いますが、そんなにぴたっとはまったことはなくて、でも、この本はふと本屋さんで目に止まってパラパラ見たら、久々に読むべきかなーと思い買ってみました。二週間くらい前のことです。

バシャール究極の公式

本書でも繰り返し取り上げられる、バシャールおなじみの公式はこちら。

フォーミュラ(公式)

もっともワクワクすることを、

能力の限り追求し、

結果に執着しないこと。

 

ワクワクの追求と結果に対する無頓着。これをバシャールはいままでもしつこく言っています。変化にはタイムラグがあるから、出た結果にがっかりして元に戻ってしまってはダメだよ、といっている動画もありました。

で、この公式は一体何なのかというと、これは波動を上げる方法です。なぜ波動を上げる必要があるかというと、「自分が引き寄せるものは自分と同じ波動のものだけ」だからです。

これはエイブラハムも言いますね。「ある周波数で回るディスク」「ディスクの上には同じ波動のものだけがある」と表現しています。お金持ちになりたい、今より楽しく生きたい、というお悩みに「波動を上げろ」とバシャールはこう答えるわけです。

 

ワクワクも考え始めると究極的に難しいんですが、よくいうのはカツ丼と天丼どっちがワクワクするか、というレベルから始めればいいようです。そんな話は書いてないですが。

あと「結果についてのあらゆるこだわりを捨てる」というところがポイントのように思います。私たちはつい、結果にこだわってしまい、五秒前までワクワクしてたのに、結果が気になってモヤモヤ感をに移行してしまうからです。この話も特に書いてません。

…ていうか、バシャール、公式をぐいぐいゴリ押ししてくるけど、それ人間には超むずいよ、といいたくなってきました。

バシャールによる豊かさの定義

これもバシャーラー(?)には非常におなじみ、おなじみすぎる定義ですが、一応書いておくと、豊かさとは、「やりたいことを、やりたいときにできる能力」です。

読むタイミングによってはふーんと流してしまいますが、結構、究極の定義だなーと今は思います。なんでかというと、昨日さとうみつろう氏(この人もバシャール対談本を出してますね)の『あなたが人生でやっておくべき、たったひとつのこと』を読んだのですが、そこでもコンコンと語られていたとおり、結局、やりたいことをやることが幸せ、やりたいことをやれないことが不幸せ、だからです。

それが豊かさなんだよ、というのは少し飛躍があるように感じますかね。だからこそ、豊かさの定義を変えるということです(笑)。

こういう話でよく思い出すのは『花より男子』で道明寺が金持ち過ぎて牧野つくしと別れなければならないところですね(笑)。プライベートジェット(?)に母親役の加賀まりこが待っているシーンです。プライベートジェットかなんか乗るくらい金持ちなのに、好きな人と一緒になれないんだ…………(白目)と思いましたね。というわけで道明寺は全然豊かじゃないわけです。普通はプライベートジェットを所有することが豊かさの定義に合致していることだと思われますが、そうじゃないよ、という話です。やりたいことをやれないってことは心が満たされない、心が満たされない=貧乏ということです。(多分)

そのほかおもしろかったひと言。

「人生の中で一番疲れることは、自分にとって真実でないことをやること」

「自分にとって、役に立たないものを手放したときに、より早く、より大きく成長する」

ほんとそうですね、としか言いようがないです。

この本のテーマは「変容」

定番の公式、定義がやはりしつこく繰り返されているバシャール本ですが、 しかし、バシャールによるとこの本の全体的なテーマは「変容」だそうです。なるほど「変容」か。本屋さんでパラパラとめくって、ハッとして買ってしまったのはこういうわけだったのです。

※ところで、本書後半で時空間はない、未来はない、今しかない、すべてが今存在している。人間の波動によって過去や未来があるように感じてるだけ、と強調されるのですが、なんでタイトルは『未来を動かす』なのかというのが、ずっと疑問です。未来を動かしたところで、今のチョイスにしか意味がないのでは?

 

エックハルト・トールのDVD、どれがいいか

この1ヶ月、毎日のように、エックハルト・トールのDVDを見ていました。

ニュー・アースシリーズの講演DVDは3本あるので、どれがいいかなと思い、Amazonの口コミを見て迷って買いましたが、結局3本とも買いました(一度にではなくて一本ずつ)。今も1本を繰り返して見て、飽きてきたら違うのに替えて見る、ということの繰り返しです。

「どれがいいか」というタイトルにしてみましたが、結論から言うと、どれでもいいです(笑)

一本だけ見るのもいいし、全部見てもいい。順序もどうでもいいと思います。あ、ただ、たしかにDVD発売元が意図した順序は「易→難」となっている気がします。なので素直な人は、「青→緑→黄色」の順に見るといいでしょう。私はまったく反対から見ました(笑)。

どれが特別いいということはなくて、ペンキを塗り重ねるみたいな感じで同じことについて話しています。だから飽きて変えたところでメッセージは同じです。でも、3本が3本とも、おもしろいです。

一応、

青が「幻想としての時間」
エックハルト・トール/イリュージョン 幻想としての時間 (ニュー・アース・シリーズ) [DVD]

緑が「今、ここに目覚める」
エックハルト・トール/アウェイクニング 今、ここに目覚める(ニュー・アース・シリーズ) [DVD]

黄色が「人生の目的」
エックハルト・トール/エンライトメント 人生の目的(ニュー・アース・シリーズ) [DVD]

となっていて、確かにそこが重点的に語られていたななーと思います。で、「易しい→難しい」というのは、「時間は幻想だよ」→「つまり今しかないんだよ」→「そんで今していることが人生の目的だよ」という話の流れからしても、スムーズです。うん、やっぱり順序よく見たほうがいい(笑)でもエックハルトもDVDのなかで、「講演のタイトルは5分前に聞く、話すことは同じだから」と言ってました。

エックハルトの動画はありがたいことに、翻訳された5〜10分程度のものがyoutubeでたくさん見られます。私もかなり長い間、VastStillnessにアップされる動画を見てきました。でも今回、90分のDVDを買って見て本当によかったな〜と思います。5分の動画とは全然違います。5分の動画では実はもやもやが残っていたことに気づきます。わかったような顔をしていたんだな…ということに気づきます。ちなみにこのDVDもVastStillness平山由紀子さんが翻訳してくださっています。感謝。

内容は本で書かれていることとも同じです。まったく同じといってもいいくらい。でもやっぱり全然違います。たとえるなら、スタジオ録音された音楽CDとライブDVDの違いみたいなものです。情報の質と量が違うから、楽しさが違うというか。そうすると理解できることが違います。

そうなるとライブそのものである講演に行くとまた違うんだろうな〜と思いつつ、英語がわからないので行かずに済む…とかいう思考が湧いてきます(笑)。

スピ本をこれだけ買っててもスピDVDを買うという経験はありませんでした。ただそれだけのことでなんとなく見ずに来ましたが、エックハルトの本が好きな人にはすごくおすすめです。

内容についてはまた気が向いたら。


 

「人生の目的」とはなにか

エックハルト・トールの「ニュー・アース」の日本語版の副題は、「意識が変わる、世界が変わる」だけれど、英語版は ”Awakening to your life’s purpose” だ。「人生の目的に気づくこと」という感じだろうか。

DVD「エンライトメント 〜人生の目的〜」も、副題は(こちらは大きく変えずに翻訳されていて)、”Finding Your Life’s Purpose” だ。そもそもこのDVDは「ニュー・アースシリーズ・DVD」の三作目で、そこにも「目的」という言葉がキーワードとして挙げられているということになる。

今していることをすること

DVDのなかで、「あなたの人生に時間が存在しないとしたら目的は何になるのか」とエックハルトは問う。彼は自分で答える。「第一の目的は、今していることをすることだ」と。講演の観客の第一の目的は、「この椅子に座って話を聴くこと」。このブログを読んでいる人ならば、スマホかPCのモニタを見つめて、このブログを読むことになるだろう。とてもシンプルだ。そう、ここで語られるメッセージは本当にシンプルなことなのだ。私たちの人生の目的は、今していることをすることだというのだから。

エックハルトが言い換えるには、それは、
「100%いまここに在ること」
「今この瞬間と内面的にひとつになること」
「あなたが今どこにいようと、そこがあなたのいるべきところだと理解すること」
「あなたが「今ここ」で何をしていようとやることになっていたことだと理解すること」
「あるがままの今と調和して生きること」
でもある。

「そうすれば、あなたのすることは何一つとして、目的のための手段となることはなくなる」

「地獄への道」を行くのではなく

 

「地獄への道は善意で塗り固められている」とは、エックハルトによれば善なる意志が破壊をもたらすことを意味している。「目的」はふつう、未来に達成して今より豊かに、幸せになろうという善なる意志に基づいている。それが今を否定し、いらいらを生み、不幸の原因になるとは驚きだが、日々を振り返ってみればまさしく真実だとわかる。

さて、そこで質問すべきは、「なぜ私は第一の目的を生きてこなかったのか?」ではない、とエックハルトはいう。そうではなくて、「私は今、第一の目的を生きているだろうか?」であるべきだという。

自分自身でいること

哀川翔の奥さんが「笑ってこらえて」に出ていて、若い女の子に恋愛指南として、「一人でいるときと同じ自分でいられる人がいい」というようなことを言っていた。自然体でいられる人、ということだろう。それはとても大切なことだ。

でも、その前にもっと大事なことがあって、それは自分でいることだ。一人でいるときに苦しければ、ふたりでいても苦しい。感情は鏡に映って、増幅していくだけだ。そして苦しいとしたら、それは自分自身でいないように「がんばって」いるのだと思う。

自分自身でいることが大事なのはわかる。でも、それってどうすればいいのだろうか。

「ありのままの自分でいるためにはどうすればいいのでしょうか」という問いに含まれる矛盾をエックハルト・トールが指摘していた。「ありのままの自分」は、どうにかしてなるものではない。それから「自分とは誰か、わからなくなりました」という困惑には祝福を送るともいう。

自分というものが、どこかに、いつか、くっきりとした輪郭を表すということはない。それは過去にも、未来にも、どこにもない。「今ここ」というのは、あまりにも使い古されてしまったフレーズだけれど、やはり「今ここ」なのだ。思考はいつも過去をネタに未来をでっち上げて、それを自分、自分と思い込んでいる。一方、自分はいつも今ここに存在している。

 

『バビロンの大富豪』に学ぶ〈奴隷→大富豪〉への道

ひとつきほど前からお金についての意識改革に本格的に取り組み始めたところ、いやはや、すごい本に出会いました。2017年上半期のベストです。

オーソドックスでドラマチックな大富豪の教え

原書はなんと1926年刊行。お金持ち本の古典と言っていいでしょう。そのうえ、舞台はメソポタミア文明の栄えた古代バビロニア王国。「そんな古い本、ものすごく時代がかっているんじゃないの…?」という声が聞こえてきましたが(幻聴)、ご心配には及びません。むしろ、教えはきわめてオーソドックス。

たとえば、

  • 収入の一割は自分のためにとっておく
  • お金が貯まったら適切な投資に回す
  •  投資は財を成した先輩の意見を聞いて適切に選ぶ
  •  優柔不断は禁物
  •  幸運はチャンスのあとにやってくる(だからまずチャンスをつかむこと)
  •  労働は喜びであり、未来を開くもの

という感じで、どれもどこかで聞いたことがあるものばかり。でも、なんだかやたらと魂に響くのがこのバビロン本の不思議。その謎はおそらく物語の持つ説得力のためです。

市民が放埒のために身を滅ぼして奴隷となり、再び誇り高き市民として生き直して財をなす物語(第七話)や、運悪く奴隷になっても懸命に喜びをもって働き、奇跡的なチャンスを掴む物語(第九話)など、どのエピソードも涙なしには読めないほどドラマチックです。読みやすくて、あっという間に読めてしまいます。

第七話より少しだけ紹介。

最期に目にするのはこの平和な静けさなのだろうか。死を前にしてわしの心はかつてなく澄み切っていた。自分の肉体はたいして大事なものではなくなったようだった。干からびて血のにじんだ唇も、渇ききってふくれあがった舌も、空っぽの胃袋も、前日までの耐え難いほどの苦痛がすべて消えてしまっていた。
気の滅入るような砂漠をもう一度見やると、そこでもう一度、例の質問を自分に投げかけた。
自分の魂は奴隷のものか、それとも自由人のものか。

さあ、この人はこのあとどうなるんでしょうか。(さっき財を成すと書いてしまった…)死を目前にした砂漠で起きる奇跡とは?! ワクワクさせる展開で、スピ的な皆様にもぜひ読んでもらいたいです。

日本のサラリーマン、バビロンなら普通に奴隷

さて、この本を読んでもらうとわかりますが、「奴隷」という境遇は現代を生きる私たちにとって、まったく他人事とは思えません。

当時の奴隷は一口に奴隷といってもさまざまで、食事も寝床もろくに与えられずに朝から晩までレンガ運び等の過酷な労働を課せられる奴隷から、パン屋さんの住み込み職人で工夫して売上を伸ばして歩合給を得ているような市民風の奴隷までいろいろ。

つまり現代でいうと、ブラック企業とホワイト企業に務めるサラリーマンという感じ。ひいひい言いながら働けど暮らし楽にならずだったり、仕事は楽しいけど、安定を捨てて自由人になろうか迷っていたり……わかるわかる、という感じ。だからこそそれぞれが大富豪へと歩んでいく姿は共感できるし、なんだか身につまされるのです。

大富豪への道

肝心の奴隷から大富豪への道ですが、まず重要なことは、まずお金持ちになるんだと決めることだそうで、これもよく聞く話ではあります。必死で働いてもいつまでもラクになれない、もうこんな暮らしはいやだと思ったコッビは大富豪になった友人のアルカドに教えを乞うことに決めます。そのとき、こんなシンプルなことに気づきます。

「おかげでまた一つ悟ったよ。俺たちはなんで金に恵まれたことがないのか。その理由もはっきりしたよ。それは今まで俺たちは富を求めたことが一度もなかったからなのさ。」

コッビは優れた演奏家になろうと思って努力してきたけれど、お金持ちになろうとはしてこなかったことに気づいたのです。

アルカドが教えてくれた黄金法則は上に書いたオーソドックスな教えに代表されるものです。古い本なので英語のWikipediaに要点が書かれています。自動翻訳でどうぞ。大事なことは、学んだ黄金法則を地道に実行していくこと。それについてはこんな例があげられています。

例えば自分で『百日の間、街へ入る橋をわたるとき、道路から小石を一つ拾って川の中に投げ入れることにしよう』と決めたとすれば、そのとおりにするのだよ。七日めにそのことを忘れて橋を通り過ぎてしまったとすれば、『明日石を二つ投げ入れれば同じことだ』とはしないのだ。その代わり、戻って石を投げる。

意志の力です。普通の人は明日でいいやと思います。というか普通の人は橋を渡る時小石を投げ入れることにしよう、などと思いません。でも、大富豪になる変人はそうしようと決めて意志の力でやりつづけるのです。

ほかに「無駄なものを買うな」、とか、「財産はちゃんと守れ」、とか、「人を助けようとして自分まで潰れるな」とか、教えはとてもシンプルです。このシンプルさがいいのです。こんなんで大富豪になれるか!?とお思いでしょうか。私はなれるような気がしました。このシンプルなことを守れてないからです。まあとにかく言われたとおり、やってみることにしましょう。

おわりに

特に感動する箇所ではないところで何度も鳥肌が立つ本です。「もしかして自分はバビロン人の生まれ変わりでは!!」 と思えるほど……。何度も読み返したい名著です。

 

ここでいう行動不要論とは…

ここでいう行動不要論とは
 「ちょっとでも嫌だとか面倒だと思うことは一切やるな」
 っつうことだよ。
 ……

次から次にやりたいことがでてくる、生きてるのが楽しくてたまらない。
 人生ってのはそれでいいんだよ。

……
 したくないこと、やりたくないことは、やらなくていいんだよ。
 もし本当にそうだとしたら、wktkしてこないかね?

逆に、この考え方のどこか罪悪感みたいのを感じるとしたら、たぶん、それこそがカギだ。
 そしてその観念は変えられるよ。

kodofuyo.seesaa.net

いやはや、すばらしいですな。小さなやりたいことのわらしべ長者になればいいわけです。シンプルです。

 

行動不要論者さんの(そもそもはエイブラハムの)17秒メソッド☆も素晴らしいし、即効性があります。

☆願いが叶ったときにどんな感覚になるかな〜と17秒間浸ってみるメソッド

kfloa.blog.fc2.com