自由とは、生命に表現させること。『喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと。』

行ったり来たりの日々

静かに内側に沈んだかと思えば、気ぜわしく外側に向かったりと、ある意味、せわしない日々が続いています。自分の中に安らいで空っぽさに満たされていたい、などと思っていますが、そこには「自分の内側に真に沈めばそこから実利的なものにも結びつくのでは」という矛盾した期待があることも事実。深く息ができるとパワーチャージした気になって外側に向かって穴を堀り、疲れ、ざわざわしていることに気づいて帰ってくる、というのを繰り返しているような気がします。何かをしなくちゃいけない、という気分になるときほど、何もしないでそこにいろってことなのかもしれません。どうせ身体も心も、動くときには物事も勝手に動くので。「自分」が考えることは、だいたい逆ですね。

 

インド人社会を生きる女性の臨死体験ストーリー

今日は先日読んだ本を紹介します。中野真作さんの本をKindleで読むといつも、最後のページでおすすめに上がってくる本で、しばらくスルーしていたのですが、ふと読んでみました。スルーしていたのは「臨死体験」というキーワードにあまり興味が持てなかったからです。なんで読もうと思ったかは謎ですが、実家に行っていたときだったのでいつもと違うものに気が向いたのだとおもいます。

結果、読み始めたら止まらないおもしろさでした。インド人社会の中で自分を抑圧して生きる苦しみと癌の恐怖がいきいきと(笑)描かれていきます。その一方で、癌そのものの劇症化と消滅は驚くほどあっけなくて、そこが印象的でした。

 

「生命」は勝手に起こっている。

普通、ひとが「生きる」というとき、それは激しい感情の運動と取り憑かれたような思考の働き、そして衝動的な行動のことを指していて、それに振り回されていることを「生きている実感がある」とか「充実感」とか呼んでいるように思います。それはそれで生きることの一部ではあります。

でも、私たちが行っている生命活動は、勝手に起こっています。この勝手に起こっているということを、「え、まさか、そんなはずはない!」と思っちゃうくらい、私たちは抵抗することに夢中になっています。不思議なことに、生命をコントロールできると思っているのです。でも、生命は私の支配下には全然なくて、どちらかといえば私が生命のしもべです(笑)。生命の「表現」のひとつが私というイマジネーションの束なんだろうと思うわけです。

だから、この本では繰り返し、「信念を捨てる」というのだと思います。自分の信念を捨ててなんだかわからないけれど勝手に起こっている生命活動の可能性にまかせてみると、不信のなかでもがいていたときとは違う世界が広がるのかもしれません。自由とは、生命にありのままの表現をさせることなのだと思いました。

 

以下、印象に残った文章の引用です。

以前は、迷うとまず外側に答えを見つけようとしました。本や先生やグルに頼り、自分に答えを与えてほしいと望みました。それは、初めて癌の診断を受けた時、まさに私がしたことでした。でも、その結果、ますます方向性を見失うことになっただけでした。自分のパワーを他人に与えてしまったからです。

 内側が外側に影響を与えるという見方は、自分の内なる導きを十分に信頼することを意味します。それは、私の感じていることが、私の宇宙全体に影響を及ぼすということです。言い換えれば、私はクモの巣状の宇宙の中心にいるので、全体に影響を与えているのです。ですから、もし私が幸せなら、宇宙も幸せです。私が自分を愛していれば、他のみんなも私を愛するでしょう。もし私が平和なら、すべての創造物が平和なのです。

私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の〝修復〟を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。

自分を自由にし、信念や不信から離れて、心をあらゆる可能性に開いた時、私は一番強い状態にあります。

確実性を必要とすることが、大きな気づきの体験を邪魔するのだと感じています。それと対照的に、すべてを手放し、信念や結果への執着から解放されれば、精神の浄化作用と癒しがもたらされるでしょう。真のヒーリングが起こるには、癒されたいという強い欲求を手放し、人生という乗り物を信頼して楽しまなければなりません。

自分の生命が望むような人間になることを許した時、私たちは最も強力です。ですから、私の意識的な行動が完全にストップし、生命力が支配した時、ヒーリングが起こりました。言い換えれば、生命に対抗せず、生命と協力している時、一番強力になれるのです。

私たちは、愛や情熱など、あらゆる種類の感情を表現するために、身体を持つ選択をしたのだと思います。それらは、純粋な意識やワンネスの状態では、個別に表現できないものです。もしこの世での人生が本当の舞台で、一番面白い場所だとしたら、どうすればよいのでしょうか?  この現実世界は、表現するための遊び場です。私たちは来世のために学んだり経験を積むためにここにいるのではなく、目的を持つ必要性もないようです。というよりむしろ、この物質世界とそこで生きている自分の生命を体験し、それらを進化させるためにここにいるのです。

いつも、苦しみを避けることか人を喜ばせることばかり考えていました。私は、行動し、追い求め、探し出し、達成することにとらわれていたのです。自分のことはいつも後回しでした。

たとえば、人生で実現したい強い願望がある時、それを必死で追い求めようとすれば、宇宙エネルギーに対抗するだけだとわかりました。そこに到達しようと努力すればするほど、私は間違ったことをしていると実感するでしょう。ありのまま受け入れることは、努力を必要としません。それは解放されるような感じです。なぜなら、すべては一つなので、手に入れたいと思っているものはすでに自分のものだと知ることを意味するからです。
ありのまま受け入れるプロセスは、まず信頼することから始まります。次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは、私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。

不確実なものを受け入れれば、あらゆる可能性に心が開かれます。不確実性は、無限の可能性につながっているのです。

人生を送る上で大切にしている言葉

私は高校生の頃、MAXが好きでした。一度離れて、また二十歳過ぎたくらいの頃も好きでした。ライブがひたすら楽しくてかっこいいグループで、今もライブに行けるときは行きます。行くと本当に楽しいです。いろいろな思い出はあるんですが、よく思い出すのが、LINAさんがテレビ番組で言った一言です。

深夜番組で(「リズムベイビー」かな?)MAXのメンバーが2チームに分かれて料理対決をしていたときのことです。NANAさん(以下ナナさん)とLINAさん(以下りっちゃん)のチームが酢豚を作ることになるのですが、ナナさんは料理がまったくできなくて危険なレベル。揚げ油に水溶き片栗粉を入れようとして止められたりするわけです。そんななか、なんとかナナさんが豚肉をおっかなびっくり油で揚げるのですが、衣をつけずに揚げていることをアナウンサーに指摘されます。もう肉を投入してしまったので「どうしよう!素揚げになっちゃった!!」とりっちゃんに助けを求めます。すると、べつの調理をしていたりっちゃんは手をとめて中華鍋をちょっと覗き込み、表情も変えずに言います。

「べつにいいじゃん」

この心からの「べつにいいじゃん」に私は救われる思いがしました。酢豚の豚に衣がついていない。べつにいいじゃん。まあ、そうだな、と思いました。問題が問題じゃなくなった瞬間です。

「べつにいいじゃん」っていい言葉だなと、そのときから大切にしています。そういうわけで私はLINAさんが大好きです。


(左端がLINAさん)

通り過ぎていくことが心地よくなっていくと

人は日々いろいろなものに手を出しては、そのうち出さなくなり、忘れていきます。あるとき熱心に読んでいた著者の本やブログをパタリと読まなくなったり、毎日使っていた道具を使わなくなったり。食べていたものを食べなくなったり。続けようという思いがあったわけでもなく、気づけば、しなくなっていることです。そういったことに以前であれば罪悪感を感じていたのですが、いつのまにか多くのことについてそれを感じなくなりました。

 

多くのことについて、というのはまだそれを感じる対象が残っているからであり、それは、「人」だったりします。かつて愛した人のことを愛さなくなることを許せない思いがまだ残っています。出会った人と関係を深められずに、保つことができずに、離れて、疎遠になることへの恐れがあります。自分を責めると同時に、相手を責めています。

愛着が自然と剥がれ落ちるのは、人でもものでも同じことです。

 

以前の私は、ある著者の本を買い集めて熱心に読み、そのうち読まなくなり新刊も追わないといった状況になると、自分を責めていました。あれは本物の関心ではなかった、と考え、偽物の関心にお金と時間を使ったと考え、無駄なことをした、と自分を責めていたのです。夢中になってから飽きる、という天気のような自然現象を責めていました。恐ろしいですね。

 

お金や時間がもったいない、というまともな理由があるようにも思えます。ひとつのことを長く続けられないことは悪であると教えられたせいもあるでしょう。

でも、これにはもうひとつ根本的な否定が関わっていると思いました。

現在の否定です。

何かに愛着を感じること、夢中になること、使うこと、すること、すべては今、起こっています。

それがもう今ないのなら、ただないのであり、過去に戻って引っ張り出そうとしても仕方ありません。今の空白を楽しみます。

 

愛着を感じる今、新しいアプリを試している今、本を読んで刺激を受けている今、それは起こり、完全に満たされているのです。

明日もそれが続くかどうかは関係ありません。何かが達成されるかどうかも関係ありません。

 

あるとき習慣だった何かをしなくなっている自分に気づくとき、すべてのことが通り過ぎていく、自由な今を感じます。願わくば、「人」についてもそんな自由な気持ちになれたら、と思っています。

ブルーボトルコーヒー初体験記「まずい!もう一杯!!」

オープンから一年半、待ち時間は5分ほど

先日、お休みの日に話題のブルーボトルコーヒーに行ってきました。話題の、と言っても、2015年2月のオープンからもう1年半以上経っているんですね。つい最近の気が……。

今は青山や新宿にも店舗があるようですが(そして中目黒、品川にも近日オープンだそうですが)、私が行ったのは日本上陸一号店の清澄白河。休日の夕方、日が暮れた時間帯でした。

駅から少し外れた住宅街に突然現れるファクトリー感あふれる店舗。

 

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横からドーン。(正面の写真は撮り忘れました。)

おしゃれタウン化する清澄白河

ちなみに清澄白河、すごーくおしゃれタウンな感じになっています。この十年でじわじわとカフェが増え、なんだか昔の裏原宿みたいです。気張らないおしゃれを気張るあれ。どなたかのツイッターで見かけましたが、「清澄白河、門前仲町は二十年前の中目黒、恵比寿(!)のよう」とのこと。本当でしょうか。ビルのひとつでも買っておきたくもなりますが……この辺のマンションもかなり値上がりしましたね。

さて、ブルーボトルコーヒーです。オープンから1年半以上過ぎた今でも、結構混んでます。すごい。とはいえ列は店内のみで待ったのは5分ほどです。オープン当初は二時間半待ちだったそうなので、かなり買いやすくなりましたね。

 

定番はブレンド、ニューオリンズ

メニューはいろいろあって違いがよくわからないので並んでいるときに慌ててスマホで検索しました。でも、前のカップルは店員さんに相談して、楽しげに長く話し込んで決めている様子。

なので私も定番を聞いてみました。定番は、ホットならドリップの「ブレンド」。アイスならミルクと砂糖の入った「ニューオリンズ」とのこと。

私は基本コーヒーはブラック派なので、ブレンドにしようかな、と思いました。でも歩いてきて暑かったので、定員さんのおすすめを無視して(笑)、アイスのブラック、つまり「コールドブリュー」にすることにしました。とりあえず店内の椅子に腰掛けて、

 

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ゴクリ。

飲んでみたコールドブリュー

「なんじゃあこれ!!」と思いました。

 

「……まっずー」

 

独特の風味があり、いままで飲んだことのない味です。2口くらい飲んで席を立ちました。

 

とはいえ、さすがに捨てたりはしません。門仲方面へ歩き始めました。

 

歩きながら、ひと口飲むたびに複雑な気分に。

 

「まずいな。これ、コンビニコーヒーだったら、即捨ててるな」

 

そう思ったのを記憶しています。

 

歩き続け、飲み続けました。3分の2くらい飲み進めると、慣れたのか、もうまずいとは思わなくなっていました。

 

そして飲み終わった時には、「ああ、終わっちゃった」というやけに寂しい気分に……。

 

 

「もっと飲みたい……」

 

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「またすぐ飲みたい!」

 

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なんということでしょう。

 

ブルーボトルコーヒーの魔法にかかってしまいました。

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コーヒーによくありがちなトゲトゲした感じはまったくありません。やわらかくて、独特の香り、風味があります。普通のコーヒーの味とちょっと違うのです。それに初め違和感を感じるのですが、慣れてくると、なんだかやみつきに。魔法にかかってしまったので、またすぐ買いに行くと思います。急に秋も深まりましたので、今度はドリップのブレンドを頼んでみようと思います。

2万超えでもコスパよし! 買ってよかったウィンドブレーカー, アークテリクス スコーミッシュフーディー

どんな季節でも、これ一枚で快適。

アークテリクスのスコーミッシュフーディは知っている人は知っている定番の人気商品です。さっと羽織れる「シャカシャカ」素材のアウターを探していた私は、昨年美容室の雑誌で見つけて、銀座の旗艦店を訪れて買いました。もちろん今年も販売されています。いわゆるウインドブレーカー、ソフトシェルというジャンルの商品です。

 

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今だったら黒を買いますが当時はエネルギーを欲していて赤(色名はmagma!)をチョイス。

軽くて持ち運びやすく、ちょっとした温度変化に対応するのには最適な一枚です。年間を通して、鞄に放り込んでおくと安心。夏でも電車の中は冷房がきついことがありますし、冬はアウターの下、セーターの上にこれを挟むと温かいです。小雨程度なら雨具代わりにもなります。

ポケットは胸元に小さくひとつだけ。これで充分です。

胸ポケットを裏返せば、エコバックみたいに小さく。

 

買ってよかったと思える理由

細部のあしらい

価格は二万円強。似たようなものをもっと安く、10分の1の値段で買うこともできます。それでも、これを買ってよかったと思うのは、首元やフードなど細部のあしらいが丁寧に、よく考えられて作られていること。

化学繊維、なのに快適。

そして一番気に入っているのはこの素材感です。スコーミッシュフーディーはナイロン100%ですが、触れた感じは自然素材のように柔らかくサラサラです。さすがに素肌に着ることはありませんが、Tシャツの上にこれを羽織っても快適です。旅行先でホテルの部屋が少し寒くこれを着て寝たところ、違和感のなさにびっくりしました。柔らかく、通気性がよく、アウトドア用のアウターを着ている感じがありません。

 

母も私が着ているのを見て気に入ったようで、今年購入。母に付き添った際、黒がかなり気になって私もしつこく試着しました。そのお店にはXSがなかったので購入には至りませんでしたが……うーん、迷っています。二色目を買うのも何なので、服の色を絞り、例外的にこれだけをキーカラーとして残すのもいいかもしれませんね。

母はAdriatic Blueをチョイス

 

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着やすくて思わず3枚買い, 無印の白シャツ&紺シャツ

無印良品の白いシャツ(商品名「オーガニックコットン洗いざらしブロードシャツ」)を買いました。コスパが良いと評判のシャツです。

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ほんとに洗いざらしでしわくちゃ

 

コスパ最強、いい感じの無印白シャツは進化していた?

白シャツ縛りで人生がはかどる

世は持たない暮らしブームです。私も断捨離してずいぶん気分が軽くなりました。服に関しても何度も断捨離しており、ゴミ袋をいくつも捨てましたが、まだまだすっきりさせる余地はあります。この夏は、なぜか柄シャツを何枚も買ってしまいました。何か人前に立つ用事があると、服を買わなければと、慌てて何枚も買ってしまうようです。「足りない」、「持っていない」という意識があるんですね。そうして手に入れた服はコーディネートが決まらなかったりして持て余しがちです。

外出着を白シャツ一本に絞るとはかどる、という話を以前読んだことがあります。ふむふむなるほど、と思ってもなぜか試す気にはならなかったのですが、カラーボックス断捨離のあと意識が変わったのか、服にわずらわされたくないという気持ちが高まりました。

 

いい感じなので3枚買いました。(早くも白シャツ縛りを破って)

というわけで一枚買ってみたところ、形もきれいでなんだかとても自然に着られるので気に入り、もう一枚買おうと無印良品有楽町店を訪れました。

するとそこには「2点以上で20%オフ」の文字が!! (ネットショップでは2016年10月12日(火)10時まで「婦人オーガニックコットンシャツ(いっしょに買うとお買い得」)

目に映るすべてのことはメッセージと思い、素直に2枚買うことにしました。そこで選んだ2枚目(のべ3枚目)は紺色。白シャツ縛りは早くも破られました。

とはいえ私としては紺(ネイビー)は大好きな色なのでOK。洋服は品数もそうですが、これからは色数を抑えていこうと思っています。白、紺、黒、グレー縛りでいこうかなと思います。柄物は基本やめます。

というわけで白白紺のブロードシャツが並びました。

 

ボタンを2つ開けると雰囲気がかなり変わりますね。まじめな感じからこなれた感じへ。
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ブロードシャツが進化(≒コストカット)していた?!

……と、写真にとって気づきましたが、約一週間の間に、ブロードシャツは進化していたようです!?

 

左が前ので、右が最新ですね。サイズタグがプリントになっています。品質表示もプリントになったので新しい方のシャツにはタグは一切なし。よってそこに縫い付けられていた 予備のボタンもなくなりました。確かに最近シャツのボタンって取れることがないですし、あのボタンって使ったことありませんでしたね(一度も使われずにその生涯を終える大量のボタンの存在にしばし思いを馳せる……)。一緒に買った紺はまだタグ仕様でした。

そして、現在なにげに紺シャツヘビロテ中です。

今日のスタンプ


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【本】〈私〉の輪郭をじんわりゆるめてくれる本, 中野真作『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』

今日は先日も少しだけ紹介した、中野真作さんの『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』を紹介したいと思います。今の私にはとてもわかりやすく、心が柔らかくなる本であり、繰り返し読んでいます。

非二元は、「〈私〉には実体がない」という極めてラディカルな教えです。中野さんはしかし、そのことを繰り返すのではなく、「私」というものが現にここにある、現にここに苦しみがある、という地点にいる私たちにもゆっくりと「私のなさ」を染み込ませてくれます。いわば、私の輪郭を温かな液体にひたひたに浸して、時間をかけて緩めてくれるようなのです。

そこには何かを教え説こうという主体がなく、焦りや渇望がなく、教えのようなものがただ起こっているということが実感されます。これは下に掲載するyoutube動画を見て、ますますそう感じました。エックハルト・トールの動画もそうですが、ここに教師と生徒がいるのではなくて、問いと答えが生じているだけなのだと感じられるのです。

非二元はラディカルな教えと書きましたが、しかし精神の探究が非二元に行き着くのは当然のことと感じます。私という境界を保ったままの自己肯定には限界があります。この境界が私と誰かの違いを生み、違いは思考によって養われ、「なぜ?」という疑いを生み……つまり私とは苦しみそのものです!(笑)。

自己肯定や引き寄せと言われる教えが、喜びを得ることの方を向いているとすれば、非二元は苦しみを手放すことの方を向いているのではないでしょうか。「いや、私には喜びを得る必要がある」と考えるとき、そこにいつも焦燥があり、痛みがあるのがわかるはずです。

何かを獲得するよりも、手放すこと。私という輪郭を強くすれば、生きることは楽になる、と私たちは思い込んできました。獲得したものをどんどん積み重ねて部屋をいっぱいにして、心が満たされる日を待ち望んできました。でも、そんな日はいつになってもやってきません。逆なのです。もう何も必要ないという安堵感以上に心を満たすものはありません。私という輪郭がないこと以上に私を自由にするものはありません。喜びを獲得する必要はありません。苦しみを手放すだけでいいし、それは可能です。

また、この本を読んでいて感じたのは、これまでいかに自分が感情を押さえ込んで、殺してきたかということです。怒りの感情が蘇っても、思考でがんじがらめにして押し入れの隅に押し込むようなことを繰り返してきました。今、初めて、この本にかかれていたように、身体の緊張としてその存在を感じるようにしています。私に抵抗されて残った悲しみはいったいどれだけあるのか、どれだけただその存在を感じることを繰り返せばいいのか、少し途方にくれています。しかしとにかくやってみましょう。中野さんのような方を見ると、長い探究は味わい深いものなのだと感じて心が温まります。ジョーン・トリフソンもそういった方ですね。

この本はKindle Unlimitedで読むことができます。非二元に興味のある方はもちろん、引き寄せや自己啓発をもう一歩深めたいときに出会ってほしい一冊です。

 

以下、『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』より

「人生の苦しみのたった一つの原因は『ありのままの私ではだめだ』という考えである」
このことは、あるレベルではその通りなのですが、これをもっとも深い部分まで探求して行くと、次のような真実に目覚めるときがやってきます。
「そもそも、その『私』という考えそのものが苦しみの原因である」

それが嫌な気持ちであれ、心地よい気分であれ、今、この瞬間に起こっていることを頭で判断せずにそのまま感じ取ることはとても大切なことです。それが「自分を愛する」ということなのです。

心の病、心理的な苦しみの本当の解決は、この「小さな自分」という感覚から解放されることにあるのです。

何も考えていないときの自分を意識する

「あなたはただ開かれて在りなさい。あとはすべて愛がやってくれるでしょう。」ガンガジ(http://gangaji.jugem.jp/?month=201112より)

本当の安心感、本当の幸福感を求めているのであれば、ここは思いきって「そもそも、普段自分が自分だと思っているものはすべてはかないもので、夢のようなもの。本当は存在していないのだ」ということを認めてみてはどうでしょう。

外の世界の何か、誰かを判断し、否定するたびに、自分自身を否定し、自分自身を苦しめています。そのたびに、大いなる存在としての自分をエゴとしての自分に制限し、自分を小さな枠の中に閉じ込めていきます。  まず、判断していることに気づくことから始めてみて下さい。心の中に判断の思考が流れていることに、ただ気づくのです。  そして、できれば、そのときの身体の感覚を意識します。身体のどこがこわばっているか、どこに力が入っているかを、意識しておいて下さい。

その人を見て感じるイライラは、実は自分自身の認められていない怒りなのだ、ということに気づき、その怒りをエネルギーレベルでしっかりと実感し癒して統合していくプロセスが起こるのです。

「悟り」という言葉で表現されているものはなんら特別なものではありません。ただありのままのものをありのままに見ることです。このことがわかってくるにつれて驚いてしまうのは、私たちは普段ありのままの世界をほとんどまったく見ていないということです。

今どんなに苦しくても、あなたは、今のあなたには想像もできないくらい変化していくことができる。 だから絶対に大丈夫。

ありのままを感じること。起こることをただ起こっているままにしておくこと。 感情がわきおこってきたら、それがわきおこってくることを許すこと。身体のエネルギーそのものとして感じ取ること。

「中野真作の悟り(非二元)と癒しのお話」No.1(11まであります)

本書の出版記念の地球ひろしさんとのトークも味わい深いです。

【使って4ヶ月】Huawei P9の使用感レポート

HuaweiP9を使用して4ヶ月弱が経ちましたので、改めて使用感をレポートしたいと思います。

ちなみに前回の記事はこちら
Huawei P9を二ヶ月使った感想。ライカカメラは最高!だけど…

スマホとしての使用感

なんの不満もありません。ばっちりです。SONY Xperia Z ultraから乗換で、初のHuaweiでしたが、後悔はなし。

ただコスパを考えるとP9 liteだったらどうだったのかな、とは思います。カメラ性能がある程度でOKなら十分だったか、と。

Huawei P9のライカカメラ

というわけで多くの方が気になっていると思われるライカカメラです。iPhoneが割り切って完成度を高めた作画をしているのに比べると、P9は設定などが豊富にある分ややマニアックかなと思います。そして自分がそのポテンシャルを活かしきれていないのかな、というもどかしさもあります。写真が趣味の人がいじって楽しいスマホなのかもしれません。とはいえ一眼はもちろん、高級コンデジの代用になるほどではないかと(これも使いこなす力次第かもしれません)。

「ライカカメラ」としての楽しさはどうでしょうか。これがなかなか難しいところです。フィルムのライカカメラなら、あるいは使ったことはありませんがライカのデジカメであっても、ただピントを合わせてパシャリと撮っただけで、圧倒的な作画ができるイメージがあります。フィルムのライカカメラは一度借りたのですが、それは味と力のある絵になりました。

このスマホがそうかというと微妙です。ぼかしはちょっとわざとらしいですね。上手にやるにはコツが要りそうです。写真を撮るのが楽しくなってバシバシ撮れたらと思ったのですが、いまのところそれほどでもありません。

暗い所、室内はあまり得意ではないようです。でもスマホで撮影するのは室内が多い。かといって風景も得意ではありません。明るいところで、これというモチーフを撮るのに向いているでしょうか。

ただこの感想はたんに私が写真を撮るのが好きじゃなくなっているせいなのかなと言う気もします。学生の頃は一眼レフを手に、出かけて街の風景を撮っていたのですが、撮影スタンスがスマホ時代にバージョンアップできていないのかもしれません。その辺の気分の持ち上げまでP9に期待しているとすれば申し訳ないです。

ライカカメラ付きスマホを自分で試してみないと気がすまない方は使ってみることをおすすめします。私自身、そのポテンシャルを活かしきれていない気がするので。今思ったのですが、これはこれぞドイツといった生真面目なスマホカメラなのかもしれません。パシャパシャ撮ってラフに楽しむことを期待してはいけないのかも。ともかく、スマホのカメラでこういった作画の傾向まで語れるようになったことがすごいですね。

撮影サンプル

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サイズ感、まとめ

5.2インチはちょうどいいですね。大きすぎず小さすぎず。KindleUnlimited読みまくってますが、画面の大きさは全く問題ありません。(ただKindle アプリが相当問題あるようで、ページを送ると画面がずれ続けたり、起動に時間がかかったりします。アップデート待ちでしょうかね)

一つ確かなことは、zultraのときよりもスマホに触っている時間は明らかに増えました。
この小ささ、さくさく感、バッテリーの持ちがよく、いじっていてストレスのない、たのしい端末です。前回撮影していると機体が熱くなると書きましたが、それ以外での連続使用では特に発熱を感じることはありません。

P9 liteを使ってコスパの面を比較できればいいのですが、迷ったらハイエンド。それで後悔はないでしょう。

 

関連グッズ

関連グッズというか本体。私は白にしましたが、ケースをラギッドアーマーにするならグレーがおすすめです。白だと黒い額縁みたいになっちゃうので。

ラギッド・アーマーのケースって初めて使ったけどすごくいいです。使用感もいいし、堅牢さに安心感も。

フィルムはこれで問題なし。

 

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おいしいものカテゴリの写真はたいていP9で撮影です。