自由とは、生命に表現させること。『喜びから人生を生きる!臨死体験が教えてくれたこと。』

行ったり来たりの日々

静かに内側に沈んだかと思えば、気ぜわしく外側に向かったりと、ある意味、せわしない日々が続いています。自分の中に安らいで空っぽさに満たされていたい、などと思っていますが、そこには「自分の内側に真に沈めばそこから実利的なものにも結びつくのでは」という矛盾した期待があることも事実。深く息ができるとパワーチャージした気になって外側に向かって穴を堀り、疲れ、ざわざわしていることに気づいて帰ってくる、というのを繰り返しているような気がします。何かをしなくちゃいけない、という気分になるときほど、何もしないでそこにいろってことなのかもしれません。どうせ身体も心も、動くときには物事も勝手に動くので。「自分」が考えることは、だいたい逆ですね。

 

インド人社会を生きる女性の臨死体験ストーリー

今日は先日読んだ本を紹介します。中野真作さんの本をKindleで読むといつも、最後のページでおすすめに上がってくる本で、しばらくスルーしていたのですが、ふと読んでみました。スルーしていたのは「臨死体験」というキーワードにあまり興味が持てなかったからです。なんで読もうと思ったかは謎ですが、実家に行っていたときだったのでいつもと違うものに気が向いたのだとおもいます。

結果、読み始めたら止まらないおもしろさでした。インド人社会の中で自分を抑圧して生きる苦しみと癌の恐怖がいきいきと(笑)描かれていきます。その一方で、癌そのものの劇症化と消滅は驚くほどあっけなくて、そこが印象的でした。

 

「生命」は勝手に起こっている。

普通、ひとが「生きる」というとき、それは激しい感情の運動と取り憑かれたような思考の働き、そして衝動的な行動のことを指していて、それに振り回されていることを「生きている実感がある」とか「充実感」とか呼んでいるように思います。それはそれで生きることの一部ではあります。

でも、私たちが行っている生命活動は、勝手に起こっています。この勝手に起こっているということを、「え、まさか、そんなはずはない!」と思っちゃうくらい、私たちは抵抗することに夢中になっています。不思議なことに、生命をコントロールできると思っているのです。でも、生命は私の支配下には全然なくて、どちらかといえば私が生命のしもべです(笑)。生命の「表現」のひとつが私というイマジネーションの束なんだろうと思うわけです。

だから、この本では繰り返し、「信念を捨てる」というのだと思います。自分の信念を捨ててなんだかわからないけれど勝手に起こっている生命活動の可能性にまかせてみると、不信のなかでもがいていたときとは違う世界が広がるのかもしれません。自由とは、生命にありのままの表現をさせることなのだと思いました。

 

以下、印象に残った文章の引用です。

以前は、迷うとまず外側に答えを見つけようとしました。本や先生やグルに頼り、自分に答えを与えてほしいと望みました。それは、初めて癌の診断を受けた時、まさに私がしたことでした。でも、その結果、ますます方向性を見失うことになっただけでした。自分のパワーを他人に与えてしまったからです。

 内側が外側に影響を与えるという見方は、自分の内なる導きを十分に信頼することを意味します。それは、私の感じていることが、私の宇宙全体に影響を及ぼすということです。言い換えれば、私はクモの巣状の宇宙の中心にいるので、全体に影響を与えているのです。ですから、もし私が幸せなら、宇宙も幸せです。私が自分を愛していれば、他のみんなも私を愛するでしょう。もし私が平和なら、すべての創造物が平和なのです。

私の癌の治癒は、信念によるものではありません。臨死体験は純粋な気づきの状態で、その時、これまで持っていた教えや信条は完全に消えていました。この状態が、私の身体の〝修復〟を許したのです。言い換えれば、私の癒しに必要なのは、信念を捨てることでした。

自分を自由にし、信念や不信から離れて、心をあらゆる可能性に開いた時、私は一番強い状態にあります。

確実性を必要とすることが、大きな気づきの体験を邪魔するのだと感じています。それと対照的に、すべてを手放し、信念や結果への執着から解放されれば、精神の浄化作用と癒しがもたらされるでしょう。真のヒーリングが起こるには、癒されたいという強い欲求を手放し、人生という乗り物を信頼して楽しまなければなりません。

自分の生命が望むような人間になることを許した時、私たちは最も強力です。ですから、私の意識的な行動が完全にストップし、生命力が支配した時、ヒーリングが起こりました。言い換えれば、生命に対抗せず、生命と協力している時、一番強力になれるのです。

私たちは、愛や情熱など、あらゆる種類の感情を表現するために、身体を持つ選択をしたのだと思います。それらは、純粋な意識やワンネスの状態では、個別に表現できないものです。もしこの世での人生が本当の舞台で、一番面白い場所だとしたら、どうすればよいのでしょうか?  この現実世界は、表現するための遊び場です。私たちは来世のために学んだり経験を積むためにここにいるのではなく、目的を持つ必要性もないようです。というよりむしろ、この物質世界とそこで生きている自分の生命を体験し、それらを進化させるためにここにいるのです。

いつも、苦しみを避けることか人を喜ばせることばかり考えていました。私は、行動し、追い求め、探し出し、達成することにとらわれていたのです。自分のことはいつも後回しでした。

たとえば、人生で実現したい強い願望がある時、それを必死で追い求めようとすれば、宇宙エネルギーに対抗するだけだとわかりました。そこに到達しようと努力すればするほど、私は間違ったことをしていると実感するでしょう。ありのまま受け入れることは、努力を必要としません。それは解放されるような感じです。なぜなら、すべては一つなので、手に入れたいと思っているものはすでに自分のものだと知ることを意味するからです。
ありのまま受け入れるプロセスは、まず信頼することから始まります。次に、いつも本当の自分に忠実でいることです。このようにして私は、真に自分のものを引き寄せていますが、それは、私が受け入れられるレベルに合わせて実現します。

不確実なものを受け入れれば、あらゆる可能性に心が開かれます。不確実性は、無限の可能性につながっているのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です