いま、思い煩うのをやめてみる。『ただそのままでいるための超簡約指南』

薄くてさくっと読めそうなところが気になって注文しました。実際、朝の一、二時間ほどで読み終えました。話はとても理論的。だけど小難しくなくて、フレッシュで明解です。んーなるほどねーと頭の中がすっきりします。誤解によって生じた生きることのわずらわしさを、「経験」という語を使って丁寧に、でもサクサク片付けていきます。

経験のみの世界

生からは何も得られない。生から何かを持ち出せるような外側は存在してない。生の蓄えをかすめ取って貯めこんでおけるような小さなポケットが生の外側についているなんてことはない。この瞬間の生に外側などない。

意識されている経験がすべてだ。そこから出ることはできない。

よく観察してみると、実際そのとおりなのです。生という経験がすべてで、その外部はありません。外部がないのだから生という経験から何かを得たり、反対に得られなかったりすることもないわけです。経験し損なう、ということはない。別の言い方をすれば、経験はすべてであって、選択・交換可能な部材のようなものではないわけです。わかります。わかるのですが……。

たいてい私は、次のように生きています。

「これじゃない、あれがいい。だからあれとこれをして、あそこにたどりつくように、がんばろう。どうしてこうなるんだろう。あの人と同じようにやってみよう。あの経験を得られるかもしれない。あの経験をしないと私はだめだ。でもあっちの経験ができれば私はかなりいい感じだ」

選んだり選べなかったりしながら、ある特定の経験をする。そう思い込んで生活しています。自分というものを成り立たせておくためには、何かを得たり、得なかったり、し損なったりしている演技をつづけ、経験の外部を演出しつづけなければなりません。人生の大半を不自然な思い込み(空想)への信仰に費やし、経験に対して「これじゃない、あれがいい」とジタバタして過ごします。これはひと仕事です。

 

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しがみつくのをやめる(本当はしがみつけないから)

この本の初めの方に、著者がつくったボストン禅公案がふたつ載っています。短くてシンプルでものすごく馬鹿馬鹿しいのですが、このバカバカしさは、わざわざ概念化という必死の努力をしたうえで思い悩むことのバカバカしさです。

実際にはこういう順序で起こっている。まず自分で思い煩って、そのあと、自分の本質であり存在している唯一の経験である開かれた気づきの状態を失ってしまったように感じるのだ。

必要なのは何かをすることではなくて、やめることです。抽象化の努力を全部やめることです。

自分とは、人生を通じてほとんど休みなく作用しつづける概念だ。「自分」という概念は、突き詰めてみれば、自分の経験とは何かしら別の、いくぶん隔たって存在している主体があるという思い込みだ。そう思っていると、経験には何かが欠落しているとか隠された要素があるということになる。

経験には隠された要素などない。解明される神秘など、どこにもない。すべてが神秘だ。そして神秘は今ここにあって、すでに明かされている。

 

私が日頃かなりのエネルギーをさいて行っている「これじゃない、あれがいい」という不自然な努力は、経験をなんとか遠ざけ、自分の輪郭を固めてその内容物を充実させようという努力です。けれど、ぜんぶ空想です。経験から何かを取り出して、そのポイントを自分という袋につめるという馬鹿馬鹿しい空想とそれにもとづいた健気な努力。これらをやめると、というかこれは一種の演技だと気づくと、そこには経験だけがあります。

生きるという経験がせつないのは、それが「しがみつけない」ことで成り立っているからだ。

自分の生の経験に縛られているように感じる人もいるだろう。ところが経験に触れたとたん、経験は溶け去る。自由は見つけださなければいけないものだとわたしたちは考えている。本当のところ、自由のほかには何も存在していない。”

経験をただ見ているとき、経験をよく観察しているとき、そこにどんな自分も見出すことはできない。実際、経験を取捨選択しないで注意深く見守っていれば、ゆっくりとわかってくる。誰も存在していなかったんだと。

 

……と、いうわけなのですが、すぐに「やっぱり生から何か得たいなー」ともぞもぞしだし、すぐに思いわずらうことがスタートするわけです(笑)。そこで、今日の表題。いま、やめてみること。

著者が最後に勧めるのは、断酒と同じ方法です。今、この一時間、あるいは今日だけ思い煩うのをやめてみること。そして世界の見方が徐々に変化していくとのことです。

こう書いていると不思議なことに、あれ? 何を求めてたんだっけ?というむずがゆさがやってきます。もしかすると、いやもしかしなくても、私は演技を続け、演出に奔走し、思い煩いつづけたいのかもしれません。昨日の自分が消える温泉でも思ったのですが、悟りや解放を求める物語から離れようとしているのかもしれないですね。

 

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