[本]悟れば君も超人になれる、のではなくて(サリー・ボンジャーズ『わかっちゃった人たち』)

今日は黄色い本を紹介します。サリー・ボンジャーズ著、古閑博丈訳『わかっちゃった人たち』です。副題は「悟りについて普通の7人が語ったこと」です。そう、副題が内容をそのまま表しています。

なんだかとても風通しのいい、気持ちのいい本です。教えようとせず、聞かれたから答えているといった感じの「普通の7人」が、それでもそれぞれに個性的で、チャーミングです。

以前読んだときは「わかっちゃった」ことが羨ましくて、どうやってそれが起こったんだろうということを読もうとしていました。でも、今回はそういう感じではなく読んでいました。どういう感じなのか言葉で説明するのは難しいのですが……。

鍵穴は通り抜けられません。「あなた」は問題ないし、どこかに行く必要もないんです。「自分はまだだ」とか、まだ先があるという感覚も、あっていいものなんです。それも全体の一部です。

 

つけ加えてもいいかしら。私はたぶん前よりも退屈な人間になったんじゃないかという気がします。(…)ひとりでいるのがすごく楽しくて、何もしないで静かにずっと座っていることもあります。(…)とにかく前よりもちょっと面白みがない人間になったような気はします。

 

 

私はずっと悟ればすべてが解決すると思っていました。悟ればあらゆる問題が消える、悟った自分は特別な人になって、やりたいことをなんでもできると思ってきました。少し前に「個人は悟らない」という言葉に出会い、しばらく大事にしていたので、悟って特別な人間になるという矛盾した望みは薄れてきました。

この本はごく普通の暮らしを送る人ばかり出てきます。悟った人がみんなスピリチュアルスターになるわけではありません。

私自身、悟れば何かが書ける、人に霊的なことを教えることができるとも思ってきましたが、悟ったら、個人としての私は書くことに関心を持たなくなるかもしれません。個人としての私が長年抱いてきた夢を、なんとも思わなくなる可能性があるわけです。もっというと、悟りを渇望してきた私が、ああ、「個人としての私そのものが妄想だったんだ」と気づいて、ただ純粋に目の前の妄想を楽しむようになり、それまでの自分が軽蔑してきたような生き方を始めるかもしれませんよね。

でも、どうなろうと知ったことではありません。それでもかまわないと思います。いまは「どうぞお好きにしてください。どうせ私にはなんの決定権もありません。この世界に起こることをコントロールすることは不可能です」という気分です。

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