何を逃れて、何を求めて / ステファン・ボディアン『過去にも未来にもとらわれない生き方』or『今、目覚める』

何度目かの再読。忘れっぽいせいもあるが特にこういった本は、読んでも数ヶ月すると内容をすっかり忘れてしまう。だから読み返すときには毎回とても新鮮だ。

とはいえ読後感の記憶くらいはあって、以前はもっと難解に感じていたように思うし、固い壁にぶつかるようなところがあった。それが今回はなんだか普通の本として普通に読むことができた。普通の本として読む、というのもなんだかよくわからない表現だが、この本に何かを求めていないせいなのかもしれない。何かというのは、やはり「目覚め」のことだ。今回はただこうしてブログ用の記事を書くために読んだ。それがかえってよかったのかもしれない(笑)。

目覚めの段階

この本は目覚めの段階を丁寧に解説している。それぞれの段階で起こりやすいつまづきや回り道について親切に説く。各章の終わりにはちょっとしたワークのようなものもある。「WAKE UP NOW」という原題からして、これまでの私のように「目覚め」を期待してしまうのも仕方がない。でも、ここで説かれる「目覚めの段階」とは、「目覚めという目標を達成するまでの道のり」では決してない。目覚めが、いうなれば「染み込んでいく」過程で、起こることや見えてくるものを記述している。こうした本を繰り返し読むことで理解が深まっていくのと似ている。初めはペンキを塗り重ねるイメージが浮かんだが、それよりも、ベールが一枚ずつ剥がれていく、あるいは空を覆っていた雲が流れていく、といったほうが実情に近いのかもしれない。

序章で示された区分けに従い、印象的だった文をいくつか紹介する。

探究 1〜5章

心は瞑想することはできない(…)心が達成する状態は(…)あなたの本質が持つ真の「静けさ」とは関係がないのです。

心は、それ自身と戦うことが好きです。(…)心はほうっておかれると自然に落ち着いてきます。

分量にして半分以上が、「探究」段階に当てられている。私たちが求めているもの、逃れようとしているもの、そのためにとる手段。それらを明らかにしながら、そこに含まれる矛盾を暴く。多くのスピリチュアル指導者のエピソードや禅の公案が紹介される。

目覚め 6章

目覚めは突然すべての努力を手放すときに起こります。(…)突然すべての希望を捨てる、ということです。

すべては、自我も含めて、あるがままに完全なのです。たとえ自我がそうではないと言い張っても。

目覚めに関する誤解を具体例をあげて説く。「悟った人になる」というよく言われるけれど避けることが難しい思い込みや、達成または自我の破壊、あるいは完全性としての目覚めなどが誤解として取り上げられている。「え、目覚めってそういうものじゃないの? 」という方は、ぜひここで示されるの7つの誤解に対する解答を読んでほしい。

深まりと明確化 7章

「(…)深いところで私は自分の本性を知っています。しかし心の作り出す思考や物語は非常に強く、いつも忘れてしまいます」
「究極の忘却」(…)この忘却は、心のさまざまな機能の副産物などではなく、実は心の主たる仕事なのです。

上記は著者の師であるジーン・クラインとの対話だ。ジーンはこれを「究極の忘却」と呼んだという。無限の平安としての本性を忘れることが心の主たる仕事、というのはびっくりだが、なるほどと納得して笑ってしまう。目覚めのあとでも、心はなんとか主導権を握り続けようと奮闘する。それに対する対処法が丁寧に書かれている。

体現 8, 9章

目覚めを体現する道は、一瞬一瞬を目覚めの認識で生きることに尽きます。

すべてはあるがままに完全であるけれど、雨漏りすれば屋根を直す

真実に対するやむことのないコミットメントが、スピリチュアルな体現のプロセスに炎を燃やし続けている

それは「私のさびしさ」ではありません。「さびしさ」そのものです。それは「私の怒り」ではありません。「怒り」そのものです。

一瞬で起こる目覚めに対し、体現のプロセスは一生かかる場合もあると著者はいう。これをどう受け止めたらいいだろう。目覚めるということは、雨漏りしない屋根を手に入れることではないのか? どうやらそうではないらしい。「大事なことは、あなたの困難な感情を抱擁すること」だという。やれやれ(笑)。

目覚めて生きる 10章

「あなたが生きる」という言葉は、余計なのです。単一の「生命」があなたや、石、小鳥、川や木々などを通して生きているということなのです。

「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように」

この章でも体現化のプロセスが大事だと著者は強調する。はじめに書いたように、この本で説かれる「目覚めの段階」は、目覚めというゴールを達成するための段階ではない。目覚めをゴールに設定し、目覚めさえすればすべてOKだ、という幻想を持つことは、目覚めとは何の関係もない。心によるおなじみの支配だ。

さて、何を求めて、何から逃れて、探究が始まり、その探究はそれ自体どんな矛盾をはらんでいたのだっけ。振り出しに戻るようにして、私たちはありのままの自分に出会うのだろう、たぶん。

親切な本

初めて読んだときには著者が怒っているように感じた。そこまでいかなくても最近まで、この本からある種の厳しさを感じていた。それがいつのまにかなくなっていた。それよりも親切さや丁寧な心配りが心に残る。つまづきやすいポイント、言いかえれば私たちがごまかしてしまいたくなる痛いところを、見逃さずにしっかりと拾い上げる。これは厳しさではなくて、粘り強い親切さだ。

※今回読み返してトニー・パーソンズの公園でのエピソードが書かれていることに気がついた(162頁)。

※『過去にも未来にもとらわれない生き方』はもう絶版になっているが、別の出版社から、別の訳者によって『今、目覚める』というタイトルで出版されている。そちらのタイトルは、原題のWAKE UP NOWに即したものになっている。

今日のスタンプ:壁ドンで帰還を迎える犬

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