この本は、お金についてのバイブルだと思う。/ 心屋仁之助『一生お金に困らない生き方』

心屋仁之助氏の『一生お金に困らない生き方』を再読した。

出会いと私の経験

心屋仁之助の本を読んだのは、これが初めてだ。しかも、コンビニで買った。

いつもは立ち寄らないコンビニの雑誌コーナーで、ずばりタイトルが目に飛び込んできた。

「これを買うのかー」と、自分の直感に戸惑いながら、しかし直感に従って買った。もっとも心屋さんのブログはそのときすでに読んではいた。

それがだいたい一年半前の夏で、それから収入は多少なりとも増えたが、数字以上に、根本的なところにある不安が薄くなったのが大きい。あまり意識していなかったが、お金を使うことに対する恐怖は以前に比べると格段に減ったと思う。

最重要ポイント

お金の問題の最重要ポイントは、「存在給」だ。存在給とは、ただ存在するだけで、自分が受け取っていいと自分に許可している金額のこと。自分で許可する、ということからわかるように、存在給は自分で決めるものだ。

「存在給」に至る議論をざっくりまとめると、次のようになる。

  • お金によって得たいと思っているのは、安心感や自由という豊かさだ。
  • それは、お金によっては得られない。(例:いくら稼いでも不安なお金持ち)
  • 安心や自由は自分で自分に許可すること、いわば自信によって得られるものだ。

つまり、ここで話は逆になる。

「安心や自由を手に入れるために、お金を手に入れよう。」

から

「お金(=豊かさ)を手に入れるために、安心と自由を自分に許可しよう。」

へと。

この、自分に許可する度合いがそのまま、存在給へとつながる。どれくらい安心していていいか、自由でいていいかを人は無意識に自分に対し、制限している。そしてその価値が低いから、=不安だから、お金を得ようとがんばっている。

つまり、「がんばらない自分の価値」=存在給なのだ。

とてもわかりやすく、かわいいイラストを引用させていただく。

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もしちょっとでもひっかかるなら、がんばらない自分の価値を自分でどの程度に見積もっているか、そしてそれを上げてみるとしたら? なんてことを考えてみてほしい。おもしろいことが起きるかもしれない。

心屋本の中でも、特におすすめ

今回再読して、やはりこの本は素晴らしいなと思った。心屋さんは本をたくさん出している。だいたい初期の頃のほうが、文章量が多く、伝えようという意欲にあふれている(笑)。でも、濃ければいいかというと、そうとも限らない。私が一番好きなのは、この『一生お金に困らない生き方』だ。ゆるさとまじめさがちょうどいい。出汁のうまさがちょうどよく感じられる。このシリーズは、イラストもすごくかわいいのだ。

こちらもおすすめです。

以前すごくざっくりと心屋本を紹介した記事

changelog.biz

 

今日のスタンプ:全身でよろこびを表現する猫たち

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こちらに入ってます。

 

 

何を逃れて、何を求めて / ステファン・ボディアン『過去にも未来にもとらわれない生き方』or『今、目覚める』

何度目かの再読。忘れっぽいせいもあるが特にこういった本は、読んでも数ヶ月すると内容をすっかり忘れてしまう。だから読み返すときには毎回とても新鮮だ。

とはいえ読後感の記憶くらいはあって、以前はもっと難解に感じていたように思うし、固い壁にぶつかるようなところがあった。それが今回はなんだか普通の本として普通に読むことができた。普通の本として読む、というのもなんだかよくわからない表現だが、この本に何かを求めていないせいなのかもしれない。何かというのは、やはり「目覚め」のことだ。今回はただこうしてブログ用の記事を書くために読んだ。それがかえってよかったのかもしれない(笑)。

目覚めの段階

この本は目覚めの段階を丁寧に解説している。それぞれの段階で起こりやすいつまづきや回り道について親切に説く。各章の終わりにはちょっとしたワークのようなものもある。「WAKE UP NOW」という原題からして、これまでの私のように「目覚め」を期待してしまうのも仕方がない。でも、ここで説かれる「目覚めの段階」とは、「目覚めという目標を達成するまでの道のり」では決してない。目覚めが、いうなれば「染み込んでいく」過程で、起こることや見えてくるものを記述している。こうした本を繰り返し読むことで理解が深まっていくのと似ている。初めはペンキを塗り重ねるイメージが浮かんだが、それよりも、ベールが一枚ずつ剥がれていく、あるいは空を覆っていた雲が流れていく、といったほうが実情に近いのかもしれない。

序章で示された区分けに従い、印象的だった文をいくつか紹介する。

探究 1〜5章

心は瞑想することはできない(…)心が達成する状態は(…)あなたの本質が持つ真の「静けさ」とは関係がないのです。

心は、それ自身と戦うことが好きです。(…)心はほうっておかれると自然に落ち着いてきます。

分量にして半分以上が、「探究」段階に当てられている。私たちが求めているもの、逃れようとしているもの、そのためにとる手段。それらを明らかにしながら、そこに含まれる矛盾を暴く。多くのスピリチュアル指導者のエピソードや禅の公案が紹介される。

目覚め 6章

目覚めは突然すべての努力を手放すときに起こります。(…)突然すべての希望を捨てる、ということです。

すべては、自我も含めて、あるがままに完全なのです。たとえ自我がそうではないと言い張っても。

目覚めに関する誤解を具体例をあげて説く。「悟った人になる」というよく言われるけれど避けることが難しい思い込みや、達成または自我の破壊、あるいは完全性としての目覚めなどが誤解として取り上げられている。「え、目覚めってそういうものじゃないの? 」という方は、ぜひここで示されるの7つの誤解に対する解答を読んでほしい。

深まりと明確化 7章

「(…)深いところで私は自分の本性を知っています。しかし心の作り出す思考や物語は非常に強く、いつも忘れてしまいます」
「究極の忘却」(…)この忘却は、心のさまざまな機能の副産物などではなく、実は心の主たる仕事なのです。

上記は著者の師であるジーン・クラインとの対話だ。ジーンはこれを「究極の忘却」と呼んだという。無限の平安としての本性を忘れることが心の主たる仕事、というのはびっくりだが、なるほどと納得して笑ってしまう。目覚めのあとでも、心はなんとか主導権を握り続けようと奮闘する。それに対する対処法が丁寧に書かれている。

体現 8, 9章

目覚めを体現する道は、一瞬一瞬を目覚めの認識で生きることに尽きます。

すべてはあるがままに完全であるけれど、雨漏りすれば屋根を直す

真実に対するやむことのないコミットメントが、スピリチュアルな体現のプロセスに炎を燃やし続けている

それは「私のさびしさ」ではありません。「さびしさ」そのものです。それは「私の怒り」ではありません。「怒り」そのものです。

一瞬で起こる目覚めに対し、体現のプロセスは一生かかる場合もあると著者はいう。これをどう受け止めたらいいだろう。目覚めるということは、雨漏りしない屋根を手に入れることではないのか? どうやらそうではないらしい。「大事なことは、あなたの困難な感情を抱擁すること」だという。やれやれ(笑)。

目覚めて生きる 10章

「あなたが生きる」という言葉は、余計なのです。単一の「生命」があなたや、石、小鳥、川や木々などを通して生きているということなのです。

「私の意志ではなく、あなたの意志がなされますように」

この章でも体現化のプロセスが大事だと著者は強調する。はじめに書いたように、この本で説かれる「目覚めの段階」は、目覚めというゴールを達成するための段階ではない。目覚めをゴールに設定し、目覚めさえすればすべてOKだ、という幻想を持つことは、目覚めとは何の関係もない。心によるおなじみの支配だ。

さて、何を求めて、何から逃れて、探究が始まり、その探究はそれ自体どんな矛盾をはらんでいたのだっけ。振り出しに戻るようにして、私たちはありのままの自分に出会うのだろう、たぶん。

親切な本

初めて読んだときには著者が怒っているように感じた。そこまでいかなくても最近まで、この本からある種の厳しさを感じていた。それがいつのまにかなくなっていた。それよりも親切さや丁寧な心配りが心に残る。つまづきやすいポイント、言いかえれば私たちがごまかしてしまいたくなる痛いところを、見逃さずにしっかりと拾い上げる。これは厳しさではなくて、粘り強い親切さだ。

※今回読み返してトニー・パーソンズの公園でのエピソードが書かれていることに気がついた(162頁)。

※『過去にも未来にもとらわれない生き方』はもう絶版になっているが、別の出版社から、別の訳者によって『今、目覚める』というタイトルで出版されている。そちらのタイトルは、原題のWAKE UP NOWに即したものになっている。

今日のスタンプ:壁ドンで帰還を迎える犬

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苦しまなくていい理由 /「スーパーマインド」V・ハワード

なぜ苦しみは不要なのか

先日紹介した『なぜあなたは我慢するのか』の続編にあたる『スーパーマインド』。これまでこの二冊はほとんど同じことを書いていると思っていたが、今回読み返してみて、そうではないことに気づいた。

『なぜあなたは…』の方は、主として「苦しみ不要論」だ。あなたが知らなければならないと思っているものをあなたは知らなくていいのだ、なんとかしなければならないと考えているかもしれないがしなくていいのだ、わからないままでいい、と説く。

そして『スーパーマインド』は、それがなぜかを明らかにする。なぜ苦しみは不要なのか。

ハワードは次のように書く。

一、偽りの自己感覚を失くして偽りの欲望を失くせよ。
二、偽りの欲望を失くして偽りの行動を失くせよ。
三、偽りの行動を失くして偽りの問題を失くせよ。
四、偽りの問題を失くして偽りの悩みを失くせよ。

苦しみは、もとをたどれば偽りの自己感覚に由来する。

「スーパーマインド」の副題は「あなたは本当のあなたなのか」だ。

だから、私たちがすべきなのは「偽りの自己感覚」を失くすことに尽きる。

「翻訳」しないこと

本当の自分になるために何かをする必要はない。本当の自己が生きることを妨げている何かをやめればいい。

あなたは独りだ。何も起こらない。電話は鳴らないし、郵便配達夫は素通りしてしまう。あなた自身だけがあなたの仲間でいる。さてここで、この独りきりだという状態を、あなたの心が不注意にそうしてしまわないかぎり、自動的に「孤独」と翻訳することはできない。

「あなたの心が不注意にそうしてしまわないかぎり」苦しみは生まれようがない。そして、そのようなものを生み出す機械としてのわたしの心の動きは、わたしではない。

「翻訳」するのをやめて、あらゆる出来事をただ見ることだ。しかしそんなことはできない。そう心は騒ぎ出す。もしただ見ることができないのならば、せめてそんな心の動きに一生けんめいに取り組まないことだ。

安心と満足をみいだす一つの方法は、安心と満足でないものはすべて、一貫してやり過ごしてしまうことだ。

幸福を求めない。

本書が一貫して提案するのは、とてもシンプルな、けれど私たちがずっと後回しにして強烈な生き方だ。それは、一言で言い表せる。

これ以上幸福など追求しないことだ

とはいえ、もう少し長く書いてくれている箇所もみてみよう。

わたしがわたしの生を生きるための足掻きをやめて、生をしてわたしのために生きるにまかせたらどんな気持ちがするだろうか? 幸福になりたい、評判のよい人間になりたい、賢くなりたいとだけ努める、苦痛に満ちた日常の一切を棄てたらどうなるだろうか? 何が起こってくるだろうか?

勝利を求めることをやめ、敗北を完全に受け入れた時、勝利も敗北も存在しなかったことに気づく。

さて、次のような一日を「あなた」はどう感じるだろうか。「スーパーマインド」、つまり「本当のわたし」を求める愉快が、ここに詰まっている。

あなたの一日は馬鹿らしくもないし、意義深くもない。生の一日はただそれがあるとおりにあるだけである。