物事に深い意味はない

物事に深い意味はない。あると思って生きてきたが多分ない。

陰謀論者はすべてに隠された意味、理由と原因とがあると思っているが最終的にどこまで行くつもりだろうか(行き着くところがない)。 原因は最終、自己原因になるかループする、という結論が哲学的に出ていたはず。無限に外部を求めるということか(未来に先送りする)。どれも病的な思考ではあるが、自己原因ならば、思考をやめて静かに暮らすことができる、スピノザのように。(そういうことか…とひとりで勝手に納得する。)

物事に深い意味はない。そしてあると考えてもないと考えてもあまり差がない。苦楽の差くらい。で、この苦楽の差のために、血と汗と涙を流し、人生を棒に振っているといっても過言ではないのに、深い意味はないと考えてラクに生きるよりも、深い意味があると考えて苦労してその末にラクをつかもうとしているのが人間で、ちょっと意味がわからないと思うけれど実際そういうことをしている。

目の前におまんじゅうがあるのだけど、それを食べないですごく過酷な旅に出る。何を探してるのかと聞くとおまんじゅうを探しているのだという。

「え、それならさっき、ちゃぶ台に…」
「いやそんな単純なおまんじゅうじゃなくて、もっと深い意味での…真実のおまんじゅうを求めてるんです」
「(……衝撃!)」

これが人生である。

で、深い意味があると思って生きることにも深い意味はないので、このことについてこれ以上深く考える必要もない。人の旅はもちろん、自分の過去の旅についても考えなくていい。