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生の緊張からの解放 | 映画「アバウト・タイム」

最近見た映画について投稿しているのは、これが書きたかったからだ。でもなんとなく順を追って書いた。

それが「アバウト・タイム」という映画。

これが、映画としてはどうも散漫な部類に入るんじゃないかなーと思うけれど、すごくいい映画だ。書かれている内容がいい。ためになる。映画というのは、本来そういうものではない(ためになるとかじゃない)という固定観念があるけどまあそれは偏見というか、映画がためになってもいい(笑)。

注意:この先は全部書いちゃうので、聞かずに見たい人は見てください。アマゾンプライムビデオでも見れます。

普通に生きてる(普通でもないけど)冴えない青年が、実は過去にタイムスリップする遺伝的能力があると知る。で、ちょっとしたヘマなどを修正して、なんやかんやして、運命の人に出会い、恋をして、家族を持ち、というような話。ここまではまあ、ファンタジーをはらんだいい話で、最終的に、この能力の秘訣みたいなことが語られ、それがとてもいい。

どういうことかというと、平凡な一日が終わる時にもう一度その日の始まりに戻って、やりなおす。そうすると、緊張がとれて、なんでもない一日をすごくよく味わえるよ、という。一度目はへとへとで疲れ果てた一日だったのに、二回目には同僚を気遣って冗談を言えたり、コンビニの店員の顔を見て「ありがとう」と言えたり、建物の内装の美しさに気づいたりする。で、最後には、あーいい一日だったなーとなる。

そうして、もう過去に戻らなくても、未来から来てこの瞬間を味わっていると思って今日を生きることができるようになったよ、という話。

生の緊張からの解放。おお。気づきにくつろぐ? おお。

 

妙に静かで整った印象が残る | 映画「殺人の追憶」

ほんとはパク・チャヌクを見ないとなーと思いながらなんか見れなくて(多分ジャケットが怖いせい)、なぜかポン・ジュノのこれを見た。

連続殺人とその捜査の執念を描いた、まあひどい話だ。なんだけども妙に、きれいというか、きれいなものは何も映らないんだけど、妙に静かで整った印象が残る。どうなんだろうか。見ている気分の問題だろうか。悲惨なシーンもそれほど目をそむけたくはならなかった。恐怖や憤りを煽るようには描いていないんだと思う。描いている内容に対して、目線がものすごく知的でフラットに思える。

映画で扱われる事件は知りたくもないし、知ってどうなるということもないんだけど、映画としてよくできているので、結局、何日かして残っているのはいい映画だったなという印象になる。終わり方がとてもうまいし、もうひとりの刑事がどうなったのかも描かれないのも余韻を残して秀逸だ。あと拷問するどうしようもない暴力的な刑事が、憎めないしかわいそうになるように描かれているのもすごい。

概念を失くしても残る愛 | 映画「アリスのままで」

最近何本か映画を見た。最初に見たのはテレビをつけたら始まったばかりだった「アリスのままで」で、若年性のアルツハイマーになる言語学者の話だ。

まずジュリアン・ムーアの芝居がうまくてハハハと笑ってしまった。それとクリスティン・スチュワートが過剰にギラギラしていた。

若年性アルツハイマーの症状や介護のひどいところはそんなに描かれていないんだと思う。映画としてきれいに見せている。だからまあきれいに描きすぎというのはあるけど、ああ、そっか、という感じ。言語学者が言葉を失っていく。概念を失う。でも、概念を失っても残るものがある。たとえば「この人は自分の娘だ」という認識がなくても、素晴らしい芝居だと感動し、それを伝えることができる。それで周囲はショックを受けたりするけど、本当はみんな、それが欲しいんでしょう。概念を全部失くしても残る愛が。それをジュリアン・ムーアがキラキラとまばゆいばかりに披露しています。

こないだ朝丘雪路の娘さんがテレビで、いつも忙しい母だったけど最後に時間を過ごすことができてよかったと結構晴れ晴れした顔で語っているのを見た。朝丘雪路は最後の五年間アルツハイマー型認知症を患っていたという。そのときは、そんなもんかねと思ったけれど、この映画を見て、ああ、よかったんだなと思った。

私もカンヌで絶賛したかった「お嬢さん」

見なきゃと思いながらどうも気が進まなくて、ついに見たのだけれど、こんなに素晴らしいならもっと早く見ればよかったと悶絶するという一人コントを繰り広げていた。本当に素晴らしくて、途中声をあげて笑っちゃうくらいで、ガッツポーズして最高!って感じだった。

素晴らしい映画についてはそんなに言うことがないし、コメントもしにくい。これはどう考えてもネタバレ回避すべき作品だ。

でもうっすらとネタバレしないとこの先が書けないので、この先を読むと、どことなく、わかってしまうので見る前に読まないでください。


不信が信頼へと変わる喜びが映画的経験にはあって、もうこれはひどい話なんじゃないか、見たあとうんざりするんじゃないか、感情を振り回されて疲れ果てるんじゃないかという疑いとともに進んでいくと、うわー!!最高じゃないか!!なんてことだーー!!!っていう歓喜に変わる。最初から大丈夫だよと言われてるとそういう振り回されは起こらないから、ディズニー映画とかはもうその時点で、損してるよね。韓国映画はどんな弾が飛んでくるかわからない怖さがあるのでかなりハラハラした。これはカンヌ映画祭で見て十分間のスタンディングオベーションに参加したい人生だった。

映画の内容も不信が信頼へと変わる喜びについて描いている。不信、不信、不信。しかし泥沼の中に美しい花が咲く。純粋さ、素朴さ、勇気が勝利する世界を入り組んだ構成で正面から豪速球で投げる。こんなことができるんだな。ふつう寓話のようになってしまうことを恐れる。でも情熱をもってそれをやる。寓話と言えば寓話なのだ。おとぎ話のような世界観だ。ただしエロくてグロくてサスペンスフルな、本来の意味でのおとぎ話だ。

あーー素晴らしいものって思考の必要がないんだ。賞賛はバカっぽい。けどそれが賞賛だ。正真正銘の。

何も言うことはないし、言葉を尽くす必要もない。すでにすべて映画が語っている。スタンディングオベーションというのは便利だ。

映画はまた危うく始まりそうに…「私の少女」

※うっすらとネタバレしています。

見終わった時にはこんなのってありかぁーと放心状態だったのだけれど、感想を検索してある仔細な評論を読んで、その全てに同意するわけではないし理解できている自信もないのだけど、「ああ、そうだった映画とはこういうものだった」と思い直して、相当な傑作を見たという感動があとからじわじわと広がった。

「映画とはこういうものだ」というのは、「現実の正しさを超えた映画的正しさが存在する」というようなことで、そんなこと当たり前だろうと言われそうだけど、ここでいう正しさは法や倫理という意味ではない。そういう外側の正しさを破ることはどんな映画でももちろん常に起こっている。けれど、それらの映画がどこに向かうかといえば内面的幸福とか充実という第二の(というかいわゆる本当の)正しさだ。

でもこの映画は結局、どうもそこじゃないところ向かって進んでいく。主人公の内面的充実には向かわない。つまり、地獄へ向かって終わる(ように見える)。主人公は担えない重荷を背負って進もうとする。予感は不吉で不穏だ。しかしそれでいい。

だからこそ終わりの場面で、映画はまた危うく始まりそうな素振りを見せることができる。それこそが映画的正しさであり、映画は人間のすべてを肯定するための映像なのだった、と久々に思い出す。(そう思い出す前に私が思ったのは、「連れてっちゃだめー」というマヌケな感想だ。あるいは映画の半ばでは「オーストラリア行きなよ〜!」と心から思った。友達にならそう言うべきだが、それでは映画にならない。)(オーストラリアといえば、元カノの妙に色っぽい存在感に感動した。だからこそ「オーストラリア行きなよ!!」と思った。(2回目))

ペ・ドゥナは、ガリガリの棒切れのような体に警察署長の服をまとってそこに立つだけで、強さと弱さの危ういゆらぎを表現できてしまう。私はペ・ドゥナの作品を見るのはなんと今回が初めてで、恐れ入りましたとひれ伏した。かっこいい。うまい。最高。しびれる。憧れる。

それから、この映画には女に対する幻想抜きのエロスが、少女を題材にしているから緊張感と危うさを伴いながらしかし明確に描かれている。それはふわふわキラキラしたものでもなければ、欲望が炸裂するようなものでもなく、もっと生理的な皮膚感覚あるいは喉の渇きに近いもので、たとえば「ウンギョ」の少女に投影されたものとは遠く離れたところに存在している。もっと女性監督による映画が作られるといいなと思う。

私の少女(2014)
監督 チョン・ジュリ
出演 ペ・ドゥナ、キム・セロン

チョン・ジヒョンの哀しい背中「ベルリンファイル」

どういうわけか気が重くて感想を書けないでいたのは、チョン・ジヒョン演じる大使館通訳職員が「接待」を行うシーンのためだろう。実際にはそのシーンは描かれないにもかかわらず、どうもそのことを思い出して疲れてしまう。独裁者による恐怖政治の下では命も簡単に奪われる一方で、こうした命に関わらないが魂を踏みにじられるような出来事が頻繁に起こり、女性や子供が安易に被害者となる。問題は、悪人とまでいえない者がそうした行為に手を染めて平然としており、被害者もまた変わらぬ日常をなんとか続けることで自己を保とうとする点だ。声をあげることができない。

悪人ではないふつうのひとですらそうなのだから、悪人の悪辣さは救いようがない。映画はエンターテイメントとして作られており、悲惨すぎ、残忍すぎるものは映らないし、ほのめかされもしない。クライマックス直前、彼らはある種不自然なほど紳士的に振る舞うが、現実はもっと容赦がないだろう。そのことが予感されて映画の外で暗澹たる気持ちになる。

さすがにこの映画では、「暗殺」でも見ることのできたファッショナブルなチョン・ジヒョンは見られない。ブラウスもコートも安っぽく、ベルリンの街で寒々しく時代錯誤的に映る。美しさは残酷な予感を掻き立てる。

北朝鮮人の暗澹たる役柄を演じながらチョン・ジヒョンはいくつかのシーンでいつものようにはっとさせる。幼い子供を亡くし、身をやつしながら現在の生活を続ける女が、疑いにまみれ疲れきって、薄暗い部屋で夫を見上げ、何事かつぶやくとき。腹を撃たれ血を流し、夫の腕に抱かれながら、ようやく本心を伝えるとき。この女に幸福があるなら、たしかに夫の胸のうちで、回復された信頼のなかで、死んでいくことだろうと思わせる。チョン・ジヒョン演じる女の生の温かみを感じることのできた唯一のシーンが、この死の場面だった。

なおハ・ジョンウが「暗殺」につづいて極めていい男の役であり、この人がキム・キドクの「絶対の愛」の男だとようやく知って、年のとり方に感嘆した。

ちなみに「10人の泥棒たち」、「暗殺」、「ベルリンファイル」と2010年代のジヒョン出演作を三作続けて見たうちで、一番映画として飽きさせず、よくできているのがこの「ベルリンファイル」だ。だが、不思議なことにまた見たいと思うのは、この作品でも、ジヒョンの出番も見どころも多い「暗殺」でもなく、最も予定調和で退屈もした「10人の泥棒たち」だ。

なぜなら「10人の泥棒たち」のチョン・ジヒョンはいつものように笑わせてくれるから。「ベルリンファイル」も「暗殺」も、明確にエンターテイメント作品として作られ、満足のゆく仕上がりであるにも関わらず、そこには克服しがたい現在進行系の哀しみが刻まれている。

血みどろの夏帆「東京ヴァンパイアホテル」

返り血を浴びながら、ヴァンパイアたちをぶった切っていく強い夏帆を見るだけでも楽しめる作品。というかそれが楽しめないと楽しめないかもしれない作品。女がぶっ飛ばされても全然死なず何度でも復活する感じはとてもよい。

ヴァンパイアホテルでの血みどろの争いや、恐ろしいグロテスクなホテルの内側を見ると撮影の苦労がしのばれる。アマゾンプライムビデオの潤沢な予算があるとはいえ、大量の出演者たちをコントロールして、血糊をぶちまけ、アクションあり、ほぼヌードのヌルヌル祭りありで、どれほど大変なことだったろう。そのうえルーマニアロケも敢行。この制作現場には絶対関わりたくないと思わされる。過酷さが画面から血のようににじみあふれ流れ出ている。

ルーマニアでのドラキュラ化する前の夏帆とルーマニア女子との恋愛が山椒のようにぴりりと効いている。ルーマニア語を無理やり話す夏帆もよい。かなり話せている感じがする(適当)。

わけのわからないまま血糊の吹き出す勢いで全10話だかが進むストーリーの救いは、ガールミーツガールというのか、女を救うのは女というのを徹底していたところで、男はひどいしほとんど出番がない。救うのはいつも夏帆で、鬼みたいになってしまった子も、ルーマニア人の彼女も、終盤唐突に未来への希望として登場する少女も、思えば全員救ったのは夏帆だった。夏帆はやたらかっこいい役どころで、すべてもっていくのだから、園子温による夏帆への「みんなエスパーだよ」についての贖罪だったのか。(「みんなエスパーだよ」はヒロインが二人いるとかなり世界がややこしくなることを明らかにした問題作だ。ヤンキーで三河弁の夏帆はとんでもなく素晴らしいヒロインだったのに、もうひとりのハロプロ系ヒロイン真野恵里菜との比重でなにがなんなんだか役割がわからないことになっていた。)ただ、血まみれの撮影は大変だったから結果的にプラマイゼロあるいはマイナスで贖罪にはなっていないような気がする。私が夏帆なら、園子温監督の仕事は怖いので次からはよく考えると思う。冨手麻妙さんも大変だったろうけど、先に狂ってしまえ!という感じの開きなおり感で園に打ち勝つ。

Kの髪型はインテグレートというかすごくレオンのマチルダ。マチルダは日本女性にどんだけのインパクトを残しんたんだろう。遠い目。あれって、そういえば、ナタリー・ポートマンなんだよね!って、思い出してびっくりするくらいに別のものになっている。マチルダはマチルダで生きて、大人になってる気がする。それくらい存在がくっきりしている。

ところで夏帆の役名がKというのは、夏帆のKで仮名のままだったのかね。

そういえばホテルの廊下の感じがどことなくキューブリックのシャイニングみたいだった。

 

「架空OL日記」という幸福なファンタジー

今、私の中で第二次夏帆ブームがきていて、時間があると出演作をいろいろ見ています。そのきっかけになったのが、この「架空OL日記」でした。

録画されていたものをなんの予備知識もなく見始めたので、「え、なんなの? なんなの?」と動揺しながら、ときどき思い出したようにひとり声をあげて笑いました。

できればこれから見る人にもなんの予備知識もなく見始めてほしい(といいつつ以下内容に触れます)。おそらく深夜ドラマで放送されていたときはそういう人も多かったはずで、そういう出会いっておもしろいですね。そういえば、私に第一次夏帆ブームが来た「みんなエスパーだよ」も、テレビをつけて「なんだこれ??」となったんでした。

リアルな女子像という架空

まず、バカリズムが朝、普通の女の子っぽく起きて、顔をあらって、ナチュラルメイクをして、普通のカジュアルな女子の格好で、一軒家を出ていきます。

(バカリズムが女子であることに関する説明は一切ありません。説明されないと、それはそれで受け入れて、見慣れて、ごく自然になります。)

空はだいたい曇っていて、冬みたいで寒そうです。満員電車に苦悶の顔を浮かべ、駅に着くと職場の同僚で友達の夏帆と合流する。そして「だるいね」とか言い合いながら、職場である銀行に向かう。これがもう毎回のようにあります。

毎度毎度起こることも同じです。ロッカールームでのちょっとした、本当にちょっとした事件、仕事中のうざい上司のふるまい、使っても使わなくても昼食代を引かれるから使う社食でのひとコマ、そして仕事終わりに寄るカフェやイタリアン、中華料理店での会話。ダイエット問題とジム。悪意に満ちているようで、実は大して気にもしてない、反射的に出て延々続く上司の愚痴。ささやかだけれどたしかに偉大なOLのなかのヒーロー(コミネ様)の誕生。

凡庸な幸福感が持続する非現実

ひたすら銀行に勤めるOLの単調な日常の繰り返しがおもしろいのは、ほっこりしつつもぴりりと毒の効いた会話がおもしろいこと。平凡な女子行員たちがそれぞれしっかりキャラクターがあり、それを演じる役者たちがみな達者なこと。なんかどこからどこまでアドリブなのかなーと思うような愛しいシーンの連続で、このままサザエさんみたいに永遠に続いてほしいような気がしてきます。

日常とはかくも平和で満ち足りたものなのか、と感嘆し、いや、そうではないから架空なのだと思い直す。こんなに愛に満ちたロッカールームを私は知りません(ロッカールーム自体ほぼ知らない)。

夏帆もコミネ様を演じた臼田あさ美も華やかなのに、なんでもない日々に溶け込んでいます。映像の、ずっと曇ったグレーっぽい色合いもよかったな。そしてバカリズムすごい。結構男っぽい人だと思いますが、女子に溶け込んでいます。これって、なかなか難しいこと。でもこれができるから、脚本でOL(架空)の声を書けるわけですね。

アイキャッチは「なんだよそれ」と思って、思わず画面を撮影したシーン。このあと臼田演じるコミネ様が「どけー」とか言ってどかします。その具合が絶妙でした。

ちなみに最終回、ラストはどうでしょう。いち視聴者として言うのは簡単だけど、言います。そのオチいる!?(笑)。

※「架空OL日記」はHuluで見ることができます。

 

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