『四つの約束』まとめと感想7

第6章 トルテックの自由の道 古い合意を破ること

四つの約束がすべて解説されたあとのこの章では、自由について語られる。どうも私にはこの第6章が最も重要な気がしてならない。十分に理解できてるとは言えないが、現時点の理解としてまとめてみる。

子供の自由

自由とはどういうことか。彼はその解を子供時代に求める。子供は過去について悩んだり未来を心配したりしない。現在に生きている。感情を出すことを怖がらず、愛情に満ちている。子供の在り方こそが人間本来のあり方であり、人間は大人になってもずっと子供のままである。

気づくこと

では、子供のようにありのままに自分を表現するためにどうすればいいのか。最初のステップは気づきであるという。自分が自由ではないことに気づくのだ。そしてもう十分だ、本当の自分が誰であるかに気づいてくことだ。

気づくとは自分を不幸にしている信念や恐れ、行為これに気づいていくこと。四つの約束がその方法となる。合意を破ることは簡単ではない。繰り返し繰り返し新しい合意を実践しなければならない。

許し

許しは癒しの唯一の道である。裁判官であることをやめ、犠牲者を続けることをやめる。自分自身であるために兵士として戦い続けなければならない。

死への入門

死への入門。一週間後に死ぬと言われたらどうするか。本当に生きることを始めるのではないか。毎日最後の日として生きるとしたらどうか。全てに対して開くことができるのではないか。人を愛することができるのではないか。いつも最後の日のように人生を生きることができる。死の天使は現在に生きることを教える。

感想

まとまりはないが以上が現時点での第六章のメモ書きだ。以下、印象に残ったことなど。

人間は本来自由な子供時代のままだが、あたかもそうではないかのように様々な行為に縛られて責任を負って生きている。このことは本当によく理解できる。私はこれまでに親や先生と、社会や友人と、ありとあらゆる場面で行なってきた数々の合意は、言い換えれば「常識」だ。これにずっと違和感を感じ続けてきた。何でも抵抗しようというのではない。ただいつも何か胡散臭い、嘘のようなもので構成されているいるのを感じていた。そして綺麗な布で包まれて、どこか催眠にかかったように、その嘘にみんなが追従する。いったい何のためなのか、つまりみんなが大事にしている社会常識の、目的がときどきわからなかった。正しさを盾に人が健康で楽しく幸せに生きるのはいい。それを越えて苦しめるような合意が多すぎる。裁き、糾弾、断罪。とても奇妙なことなのだ。

ひとつひとつ気づいてその古い合意を打ち破っていかなければならない。その時これまで見てきた四つの約束が役に立つだろう。正しい言葉を使い、何事も個人的に受け取らず、思い込みをせず、常にベストを尽くす。

古い合意はありとあらゆるところに蔓延している。私たちが少しでも幸福ではない、不幸である、何かがおかしい、モヤがかかっていると感じるとすれば、そこで古い合意が私たちを縛っているのだ。本来私たちは子供のように純粋で、ありのままに今を楽しみ、愛情感じ愛情を与えている存在だ。それが本来の姿だ。そうではないとすれば、それがおかしいのだ。 古い合意がそこにある。そのように考えること。そのような前提に立つこと。