通り過ぎていくことが心地よくなっていくと

人は日々いろいろなものに手を出しては、そのうち出さなくなり、忘れていきます。あるとき熱心に読んでいた著者の本やブログをパタリと読まなくなったり、毎日使っていた道具を使わなくなったり。食べていたものを食べなくなったり。続けようという思いがあったわけでもなく、気づけば、しなくなっていることです。そういったことに以前であれば罪悪感を感じていたのですが、いつのまにか多くのことについてそれを感じなくなりました。

 

多くのことについて、というのはまだそれを感じる対象が残っているからであり、それは、「人」だったりします。かつて愛した人のことを愛さなくなることを許せない思いがまだ残っています。出会った人と関係を深められずに、保つことができずに、離れて、疎遠になることへの恐れがあります。自分を責めると同時に、相手を責めています。

愛着が自然と剥がれ落ちるのは、人でもものでも同じことです。

 

以前の私は、ある著者の本を買い集めて熱心に読み、そのうち読まなくなり新刊も追わないといった状況になると、自分を責めていました。あれは本物の関心ではなかった、と考え、偽物の関心にお金と時間を使ったと考え、無駄なことをした、と自分を責めていたのです。夢中になってから飽きる、という天気のような自然現象を責めていました。恐ろしいですね。

 

お金や時間がもったいない、というまともな理由があるようにも思えます。ひとつのことを長く続けられないことは悪であると教えられたせいもあるでしょう。

でも、これにはもうひとつ根本的な否定が関わっていると思いました。

現在の否定です。

何かに愛着を感じること、夢中になること、使うこと、すること、すべては今、起こっています。

それがもう今ないのなら、ただないのであり、過去に戻って引っ張り出そうとしても仕方ありません。今の空白を楽しみます。

 

愛着を感じる今、新しいアプリを試している今、本を読んで刺激を受けている今、それは起こり、完全に満たされているのです。

明日もそれが続くかどうかは関係ありません。何かが達成されるかどうかも関係ありません。

 

あるとき習慣だった何かをしなくなっている自分に気づくとき、すべてのことが通り過ぎていく、自由な今を感じます。願わくば、「人」についてもそんな自由な気持ちになれたら、と思っています。

通り過ぎていくことが心地よくなっていくと」への3件のフィードバック

  1. ヒロ

    はじめまして。中野真作さんの本の記事でこちらのブログを知りました。

    この記事、すごく染みました。僕はかなり飽きっぽく、自分ではそのことを完全に肯定していると思っていたのですが、そうではない部分、かすかな罪悪感もあったことに気づきました。

    なにか少し呼吸が深くなったような気がします。素敵な記事、ありがとうございます。

    P.S. ブルーボトルコーヒーの記事、面白かったです!

    返信
    1. 古石 千明 投稿作成者

      ヒロさん、うれしいコメントをありがとうございます。これは昨夜ふと思い浮かんで書いた記事でした。記事にも書いたとおり、「人」に飽きること、飽きられることもなんとも思わなくなれれば相当風通しいいだろうな、と思っているところです。

      何年も前からヒロさんのブログは読んでいます。本当にたくさんの気づきをいただきました。翻訳された本も繰り返し読んでいます。ご活躍が本当にありがたいです。

      これからもブルーボトルコーヒーの話など(笑)、いろいろと書いていきますので、また読みにいらして来てくださいませ。(古石)

      返信
  2. ピンバック: いま、思い煩うのをやめてみる。『ただそのままでいるための超簡約指南』 – changelog.biz

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