[本]感情のひとつとしての幸福ではなく(ロバート・シャインフェルド『なにが起こっても、『絶対・幸せ』でいる法』)

超おすすめ本なので紹介したくてたまらなかったのですが、どうにも言葉で表現することが難しく、ついつい先延ばしにしてしまいました。とはいえもう9月も半ばであり、今年もラストスパートに入ります。秋分の日に向けた浄化と世界の変化に向けて、ぜひ興味のある方に読んでいただきたいと思い、どう紹介すべきかまだ悩み中ですが、見切り発車で始めてみます。

私がこの本を読んだのは確か8月初旬で、これは素晴らしいと思って帰省時にも旅行時にも持っていきました。本はこれ一冊でしたのでお風呂で読めるのはこれのみ。おかげで繰り返し読むことができました。一冊の本を繰り返し読むことはときどき素晴らしい効果を生みます。

非二元についての私の理解が正しければ、この本はとてもわかりやすい非二元のテキストです。内容はある意味オーソドックスで、突飛なことは言っていないので「目からウロコ!」とは思わないのですが、私自身初めて何かが腑に落ちたのは確かです。

以下、概略。

結局のところ人が望んでいるものは幸福だ。けれど、人は幸福がそもそもなんなのかを理解していない。幸福は通常考えられているような「ポジティブな感情」のことではない。ストーリーによる意味付けがなければ、感情にはポジティブもネガティブもなく、ただ存在するだけだ。映画やジェットコースターで感じる感情を考えてみればわかる。恐怖という感情は本来的に悪なのではない。感情はただのエネルギーだ。では真の幸福とはなんなのか。それは、あらゆる感情を存分に経験すること。物語が意味付けする前の純粋な生の経験という真の幸福を経験しよう。これは理論でもメソッドでもなく経験の問題だ。

 

おそらく私が紹介する自信が持てず躊躇したのは、まだまだ消化しきれていない部分があるからでしょう。腑に落ちたといったのは「感情(の意味)は問題ではない」ということが、無意識に自分を責める自分にはっとする気づきを与えてくれたからです。私はスピ街道を歩くものとして、「いいでいなければならない。幸福でいなければならない」と、知らず知らずのうちに自分を縛っていました。いつでもいい気分いられない自分が苦しかったのです。怒りやいらだちという感情を悪としているのは自分なのだということ。別に怒りは悪でもなんでもないと知ってだいぶ楽になりました。(そして今、これまでスピ系テキストを書きたいと思いながら書けなかったのが書けるようになったわけがわかりました。いつもいい気分でいられない自分には書く資格がないと思っていたのが、感情はどうでもいいと知って安心したのですね。)

とはいえ、生の感情を経験するという至福にあずかっているかというとどうでしょうか。ただ本書で紹介されている「レッドピル」はもう飲みましたので、「真実のウィルス」は時間とともに働くことと思います。

 

経験していない以上、蛇足になってしまいますが、少し付け加えます。この本を読みながら、以前、高木悠鼓さんが「個人は悟らない」と書いていたことを思い出しました。普通、私たちが感情と呼ぶのは、個人の感情です。「私という個人にとってどのような意味を持つか」というのがふつう、感情の意味であり、それが勘違いのもとです。つまり、シャインフェルドが言う「真の幸福」「生の感情の経験」は個人的なのものではないのだろうなと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です