ユーフィーリングのことなど

この半年くらい、何冊かの非二元本をぐるぐると回転するように再読しているので、どれがどうというのではなくて、全体的にまったりじわじわ感じ入っているけれど、メソッド的なもので、「これは」というのがDr.キンズローの「ユーフィーリング」だ。

何年か前にものすごく落ち込んでいるときにすがるような思いで読んだ時には(笑)、全然わからなかった。というか、「これがそうなの? ほんとに? これがユーフィーリング?! どうなの?」という感じだったので、ユーフィーリングもクソもなかった。

こういうものは遊び半分というか、関連のウェブサイトとか紹介記事を読んで「なんかいいな〜、いい感じがするな〜」と思ったら、ちょっと読んでみる、やってみる、くらいがいいのかもしれない。

そういえば今思い出したけど再読のきっかけが他の本にあったような気がする。『なにが起こっても、「絶対幸せ」でいる法』かもしれない。この本もかなり好きだ。そのなかで、これってユーフィーリングじゃね? と思い出して、読み返したような気がする。全然違うかもしれない。

非二元本数珠つなぎみたいな現象があって、これってあれみたいだなと連想してそれを再読する場合もあれば、無関係に前に読めなかった本が突如本棚で輝き出す場合もある。本棚の本がなんか目に留まるというのは大事で、そういうのは手にとって読み返すようにしている。それでピンとこない、相変わらず読めない場合もある(普通)。

ユーフィーリングというのは詳しくは本を読めばわかるけれど、「本来的に備わっている心地よさ」みたいなもので、それによく触れて気づいていると、だんだん生きるのが楽になってくる。気楽になる。気楽になってそれからどうなるの、って思うかもしれないけど、気楽であることは本当に、思う以上にいいものだ。

たしかに最初のうちは「ユーフィーリングを感じる→ああ気持ちいい→日常に戻る→しんどい→ユーフィーリング(きもちいい)→日常(しんどい)→」って感じかもしれないけれど、続けていると日常にもきもちよさが浸透してきて、バスや電車で、驚くほどリラックスしてる自分に気づいたりする。

「安らぎは当たり前なんだ、邪魔しなければそこにあるんだ」というのは、そうと知るまでは「まさか」という事柄だし、知ってしまえば当たり前のことだ。(だからといって、24時間安らいでいるわけではなくて、よく邪魔している。)

日本語の本は4冊出ていて、なぜか全部持っているが、『瞬間ヒーリングの秘密』以外ならどれでもいいんじゃないかと思う(『瞬間…』はヒーリングの施術法中心だから)。いきなり『ユースティルネス』に行ってもちゃんとユーフィーリングのことも書いてある。どうせ、はまれば全部読みたくなるし、はまらなければ一冊で終わりだから心配することはない。

QEコミュニティ

 

『最強の食事』のことなど

食べたいものを食べたいだけ食べようと思って1、2ヶ月インスタントラーメンやアイスを好き放題食べて気が済んだので、食生活の改善に乗り出したのが去年の12月頃のことだ。

最初は肉・卵・チーズ中心の「MEC食」というのを始めたけれど、どうも体が重い感じがしてだめだった。そのあと『最強の食事』という本を読んで、食べ物に関する考え方はガラッと変わった。個人の体験をもとにしたマニアックな本だからこそ、影響力がすごい。

それから8ヶ月くらいになるけれど、完全無欠コーヒーを軸に、低糖質、高脂肪、高たんぱく、野菜多めの食生活を守っている。結局、何を摂らないかが重要で、それがわかれば食べられるものは自然と絞られる。

私が完全にやめたのは、

  • 小麦(グルテン)
  • 悪いアブラ(ファットスプレッド、ショートニング、マーガリン、サラダ油ほか

なるべく摂らないようにしているのは、

  • 砂糖、果糖を主原料とした製品
  • 乳製品(バターを除く)
  • 穀物類
  • フルーツ(果糖)

こんなことをしてどうなるかというと、まず精神状態がよくなる。肌もくすみがとれてきれいになる(腸の荒れが収まるのだろう)。そもそも私は小麦アレルギーだったようで、頭皮ニキビの原因もこれだったし、小麦を食べるとすぐに異様なほどイライラすることが、段階的にやめていくなかでわかった。なのでもう全然食べていない。

砂糖をやめると明らかにむくみがとれる。そして朝の目覚めがよくなる。これまで頭というか全身がしょっちゅうぼーっとしていたことに気づく。私たちが空腹感と思っているものはたいてい、空腹ではなくて低血糖状態だ。糖質で血糖値を急上昇させなければ、それも起こらない。本当の空腹感は、礼儀正しく栄養補給を要求するもので、闇雲に食品棚を漁ったりはしない。血糖値が安定すると精神的に安定し、血管も守られるというメリットもある。

だんだんと自分の体がリトマス試験紙のようになっていくのがわかり、変なものを食べるとすぐに反応がある。これまでいかに雑音のなかで暮らし、メッセージを無視してきたかということだ。ちなみにビタミン・ミネラル系のサプリも併せて摂っている。

そんなこと出来ない、食べるものがなくなる、と思うかもしれないけれど、これはやってみると全然辛くない。むしろ、みんななんでやらないんだろうと思えるくらい快適な食生活だ。(だからといって強く推奨するわけではないが)

 

 

iPad proを買った。

Apple Pencilが使えるようになったiPadを買おうかどうしようかずっと悩んでいたのに、店頭で描いてみたら、私の味わい深いイラストを描くにはProじゃなきゃ絶対だめじゃん、ということがはっきりしてしまった。

で、潔くiPad Pro(2017)10.5インチを買った。

悩んでいた予算の倍額が必要になったというのに、かえって思い切りがついたのは、うっすら迷っていたAndroid系に、iPad Proの競合がいないからかもしれない。

今日は買った翌日だからまだよくわからないけれど、なかなかおもしろい。Mac OS とはまったく違う発想で作られていると感じる。とはいえ、アプリケーションのわけのわからなさは共通していて、それはなんか悪化しているような気がする。

iOSってわけがわからない。昔iPhoneがもっと小さくて硬くて丈夫で重くて、落としたらむしろ床のタイルを割った頃(誇張)、私も使っていたけれど、わけがわからなかった。Androidにしてほっとした。だいたいここにあるだろうと見当をつけたところに物事が収まっているのがAndroidで、その意味でAndroidのほうが説明なしで使える。その点、APPLEは人心に反していて、奇妙な場所に物事が隠されている。すごく不自然で、異様な感じがする。(だからこそその異様さに気づかないITに不慣れな人たちが、そういうものだと思って忍耐強く使っているイメージ)

iTunesとか本当バグの塊って感じだし、iCloudとか共有系のわけのわからなさはなんなのか。何がどうなってどうなっとんや……と、立ち止まってひとつひとつ考えないといけない。説明なしにモダンなからくり屋敷に住まわされる感じ。そして涼しい顔をして随所でお金をむしり取ろうとしてくる。気づかぬうちに会計するわりに、サブスクリプション系はめっちゃ奥地にたどり着かないと登録解除させてくれないとか、ちょっとどうかと思うくらいだ。おしゃれな請求書に人は、こうも簡単にねじ伏せられてしまうのか…。

だから長年Macを使いながら、Macのアプリとはなるべく距離を置いて過ごしてきた。でも、なぜか最近、その異様さを受け入れる余裕ができてきた。Spotifyのほうがまともなのに、なぜかバグだらけのiMusicを使い続けているのはその予兆だった。

そういうわけで秋に新作の噂もあるiPad Proを今、勇気を持って買ったので、ちょっとこの異様さと向き合ってみようと思う。

 

ちなみにカバーはシリコンの背面のみ。いらないかと思ったけど、傷防止と背面がさらっとしてるので持つときの安定のためにもあったほうがいいかな。これでも重量が増してしまうのが残念。Apple Pencilで描くのがメインの目的なので、保護シートもそれ用を購入。Apple Pencilは硬くてツルツルしているのでペンのカバーも。まだ一日だけどいまのところ全部いい買い物をした気がする。しかし人にものを買わせる力がすごい、Apple。

 

 

エアロバイク生活

3月にエアロバイクを漕ぎ始めて、だいたい5ヶ月になる。だいたい30km、70分くらいかけて漕いでいる。毎日やろうと思っても自然と週2回くらいできなかったりやりたくなかったりする日があって、ちょうどいい感じで続いている。

最初は30km!! とか思っていたけれど、自転車、しかも室内のエアロバイクだと意外といける。エアロバイクは汗もかくし、血流もよくなるし、内臓脂肪も燃えて、すっきりしてきた感じはあるけれど、劇的な変化というほどにはなってない。まだ半年経っていないからかもしれない。でも、外を毎日5kmジョギングするほうが体は変わるんじゃないかな。

それでもエアロバイクが素晴らしいのは自室で有酸素運動ができるということで、どんな格好でもいいし、喉が乾いたら水を飲みに行けばいいし、途中でやめてもいいし、本も読めるしドラマも見れるし、なんだってありなのがいい。日焼けもしないし、クーラーの効いた部屋だし、一番続けやすい有酸素運動だと思う。

明らかに有酸素運動による脳の快楽物質の放出があって、結構楽しい。

運動、特に有酸素運動は脳にいいという話はよく聞くし、そういうことをこれでもかと書いた本をいくつか読んだけれど、本当だと思う。午前中に運動すると、もやもやした思考が減るのがわかる。

 

買ってから一年放置していたこのエアロバイク。結果的にものすごくいい買い物をしたことになった。

 

脳に運動がいかにいいかを説いた本

 

風をつかむことはできない

問題は、不幸ではなくて、幸福のほうにあるんじゃないかな。

喜びを感じるとそれを掴んでおきたくなる。絶対、二度と、手放したくないと。

自分が手に入れた。自分にはその権利がある、価値があるのだと。

 

愛はいつもその手を放す。

愛があなたを見捨てるように見えるのは、

愛があなたを掴んだことなど一度もないからだ。

 

風をつかむことはできない。

どんな突風も、掴んでそこにとどめておくことはできない。

どんな柔らかな風にも、再現性はない。

もう一度、もう一度と、どんなに努力しても願っても、どんな犠牲を払ったって、無駄だ。

風はそういうもんじゃないとわかってるけど、

すべてがそういうもんじゃないということがわからない。

それでどんな犠牲を払っても、などと奇妙なことを考えはじめる。

 

風をつかむことはできない。

でも、風はいつも吹いている。

 

 

私というビルの中に部屋がたくさんあって

すべての思考と感情が通り過ぎていく。掴んで、そのまま維持しておくことはできない。だけど、ぜひそうしようとムダな努力をしている。

ものは整理できるけれど、思考や感情は整理できない。

ただ、やってきて、去っていく。保管庫もないし、分類用の箱もない。

なのに、なぜかあると思ってる。

幸せの箱をいっぱいにしてたくさん集めて、不幸の箱を空っぽにしようという試み。

そんな箱はない。ないからできない。

そんなシステムはないのだけど、この謎の試みに夢中になって、中毒している。

私というビルの中に部屋がたくさんあって、その中にいろんなものを詰めてると思っている。

いかにしてどれほどいいものを詰め込めるかというのが人生だと思っている。

 

ビルはないし、そこはただの原っぱで、風が吹いている。

中毒について2

さっきの記事のつづき

中毒というのはすごいエネルギーだと思われている。何かに対する激しい情熱が人を突き動かすと思われている。

と書いたけれど、思っていたのは私で、長い間、この中毒的な力こそ必要だと思っていた。

中毒的な力は偉大で、私にさまざまなことを可能にしてくれる大切なもの、創造性の源だという大いなる勘違いをしていた。

何年も前からその存在は知っていた思考停止を、なぜかわからないけれど実践してみると、いろいろなメッセージがリンクしていることに気づく。

インナーゲームのセルフ2に任せることも、ガンガジにパパジが言った「やめる」ということも、ユーフィーリングの「何もしない」も。トランサーフィンも振り子に捕まりたくなければ、からっぽにしておけ、と言っていた。ほかにもたくさんの人が言っていたと思う。(もちろんディティールはそれぞれ違うのだけれど)

自然の力は偉大で、そのままにしておくと種は大きな木に成長する。

そこに何か駆り立てるような焦燥とか、達成への執着のようなものは必要ない。あったら面倒なことになる。

 

ところで中毒は創造しないといったけれど、「それでもいい、そこにはかけがえのない楽しみがあるから」と思うかもしれない。

でも中毒しなくても楽しいものは楽しいようだ。むしろ、焦燥がないだけリラックスして、そのものの本来の魅力を楽しめる。砂糖を食べ過ぎると、もっと甘いものが欲しくなるけれど、砂糖の中毒になっていなければカカオ88%のリンツのチョコレートのおいしさがよくわかるということだ。中毒するのをやめれば隔てていたガラスが取れてその魅力がすっと入ってくるだろう(そのとき人間を依存症にするためだけに作られたものは楽しめなくなるだろう)。

中毒について

好きなこと、楽しいことについて考えふけってしまう。それは一見いいことのように思えるかもしれないけれど、自動的に始まる思考にとらわれていることに変わりはなくて、そこで膨大なエネルギーが浪費される。

思考は好きなものについてであれ、嫌なものについてであれ、始まると答えを求めて走り出す。なんであれその都度の暫定的な答えにしがみつこうとする。それでいてしがみつけるような答えなど出はしない。だからこのしがみつこうとする試みはいつも不可能への挑戦で、苦しい。

ところで中毒というのはすごいエネルギーだと思われている。何かに対する激しい情熱が人を突き動かすと思われている。

また、中毒していることについて人はそれを自由意志で選択していると思い込んでいるから、中毒しているものを摂取する(取り組む)「自由がある」と思っている。でも実際はその逆だ。あたりまえだけど。

そして、そういう力がさまざまなことを達成するエネルギーになると思っている。
でも中毒の力が達成することはおどろくほど少ない。

唐突だけれど、デパ地下に行くと、小麦と砂糖からできた製品ばかりが並んでいる。あれほどの多種多彩なお菓子が並ぶというのは、お肉では考えられない。お肉は食べれば食べるほどもっと食べたくなる、というものではなくて、適量をとると人間の体からもう充分だというホルモンが出る。でも小麦や砂糖はそうではない。そして過剰な小麦や砂糖は人間の体にろくなことをしない。

同じように思考に関しても、中毒のエネルギーはたしかにすごい。でもそれは浪費されるエネルギーで、自由に使えるエネルギーではない。

創造はそうした中毒的なエネルギーの結果ではなくて、むしろそうしたエネルギーの空白地帯で起こる。

(ここでトランサーフィンの「振り子」について思い出す。多分、このことについて詳しく書いていたはずだ。「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択